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ケリーの母(1)

ここは、とある日本の有名大学の講堂。その中で、聴衆の拍手を受けているのは、ケリー・ホワイトだった。ケリーはオーストラリア人で、ノーベル物理学賞候補にものぼっているとうわさされる著名な物理学者である。日本の大学から以前にも講演の依頼が何回かあったのだが、どういうものか断り続け、今日が日本で行われた最初の講演だった。その講演が終わったのだ。聴衆の熱狂的な拍手から、ケリーは講演が成功したことを肌で感じた。そして聴衆の拍手に、何度も「サンキュー」と繰り返し、控え室に引っ込んだ。控え室には、ケリーを招待した理学部の教授、小池不二男が待っていた。

「先生、お疲れ様です。講演は大成功に終わりました。ありがとうございました。今から学長や理学部長と、お食事の席を用意していますから、車のほうにどうぞ」

と誘われ、ケリーは、そのまま料亭に向かった。

 ケリー達が到着すると、料亭の50代と思える着物のよく似合ううりざね顔の美人の女将が、ケリーたちを迎えてくれた。

ケリーたちが案内された座敷には、すでに学長と理学部長は来ており、「やあ、よく来てくださいました」と、ケリーを床の間を背にした上座に座らせた。挨拶がすむと、すぐにお酒をすすめられた。学長も理学部長も、挨拶程度の英語はできたが、それ以上の会話になると、オーストラリアの大学にも留学したこともある小池教授の通訳が必要だった。

「先生は、隠れ蓑を作られているそうですね」学長が、興味深そうに、聞いた。

「僕も、子供の頃、透明人間の話に興味を持っていましたが、実際にそんなことができるなんて思ってもいませんでしたなあ。僕は経済学が専門だから、物理のことはさっぱりわかりませんが、どんなにすれば透明人間になれるんですか」

小池が学長の言葉を英語に訳して言ってくれると、ケリーはニコニコしながら、答えた。

「まあ、ご存知のように、物が見えるというのは、物質に光が当たって、その反射したものが、網膜に当たって見えると認知するわけですが、光があたっても、屈折させることによって、その物質の周りを回って見えないようにすることが出来るのですが、屈折させるために、どんな物質を使えばいいか見つけるのに、やっと実験で成功することができたのです」

「それは、すごいですね」と、理学部の学長が驚嘆の声をあげた。

「まあ、まだ実用化するためには、4,5年はかかりますが」

それから、お酒が入って、学長は、最初の肩苦しい雰囲気がとれると、饒舌になっていった。

「いやあ。小池先生の話では、世界各国で講演をしていらっしゃるのに、日本の大学の講演だけは、今まで断り続けられたというのは、何かわけがあるのですか?」

そう聞かれて、ケリーは、少しどぎまぎしたようだ。

「確かに、日本には来たくなかったのですが、65歳にもなると、やっとわだかまりが解けた感じで、今回の講演のお話を受けて、思い切ってきました」

「わだかまり?先生、何か、日本人にいやなことでもされたんですか?」

一瞬皆の間で緊張感が漂い始め、学長の質問に、接待役の日本人三人は、次に出てくるケリーの言葉に、耳をそばだてた。。

「ええ、ありました」

「そんな失礼な奴がいたんですか?けしからんなあ。昔は確かに外人に対して、日本人も偏見を持っている人が多かったかもしれませんが、今でもそんな奴がいるなんて、信じられないなあ」と、学長が言った。

「確かに昔の話です。僕がまだ4歳のときでしたから」

「4歳のときの経験が、今まで焼きついていたということは、よっぽど嫌な経験だったんでしょうなあ。失礼かもしれませんが、どんな経験があったのか、聞かせてもらえませんか」

学長は、興味津々と言う顔つきで、ケリーの答えを促した。

「実は、僕の母親は日本人なんです」

「えっ!」

三人が同時に驚きの声をあげた。ケリーは東洋人の血が混じっているとは思えないくらい、アングロサクソン系の顔をしている。高い鼻。まつげの長い大きな目。肌は白く、ほりの深い顔。髪が黒いところだけが、東洋人の血を引いているためかもしれないが、それでも、にわかには信じがたいくらい、ケリーには東洋人の面影はなかった。

「その母ももう亡くなってしまいましたが…」

「そうですか」

「講演が終わったので、明日にでも母のふるさとに行ってみようと思っているんです」

「お母様のふるさとは、どちらですか?」

「広島県に呉というところがあるのですが、ご存知ですか?」

すると、今までずっと聞き手だった理学部長の井上が、勢い込んで言った。

「知っていますよ。僕も実は呉の出身なんです。もしかしたら、先生のお父様は、オーストラリアの進駐軍の兵士ではなかったのですか?第二次大戦が終わった1945年から平和条約が結ばれる1951年までは呉にはオーストラリア兵がたくさんいましたからね」

「ええ、そうなんです。母は、いわゆる戦争花嫁だったんですよ」

「へえ」

三人は意外そうな顔をして、ケリーの顔をまじまじと見た。それには、戦争花嫁のような無教養な女に、このような優秀な息子ができたのが不思議だという思いがあるのを、ケリーは感じ取っていた。この三人だけでなく、皆戦争花嫁と言うと、パンパンと呼ばれる売春婦を連想する人が余りにも多い。だから、皆戦争花嫁とレッテルを貼り付けられるのを恐れているのだ。ケリーの母親も、自分の過去を聞かれることを極端に嫌った。

「戦争花嫁と言うと、皆売春婦だったと勘違いしている人がいるようですが、母は女学校も卒業して、実家も呉では知られた家の出だったんですよ」

ケリーは苦笑いをしながら、言った。

「そうなんですか。それじゃあ、先生は日本で生まれられたんですか?」

「ええ。進駐軍は、日本人の女性と付き合うことを禁じていたそうですが、両親は恋に落ちて、結婚したんだそうです。母は少し英語ができたので、その時進駐軍の事務員として雇われていたんだそうです。それで、2歳のとき、父の国、オーストラリアに移ったんです」

「そうですかあ。戦争が終わってまもなく敵国だったところに住むというのは、先生のお母さんも先生も大変な思いをされたんでしょうなあ」と、学長が感慨深げに言った。

「僕は小さかったので、余り記憶にないのですが、ともかく当時はオーストラリア政府は白豪主義の政策を打ち出していましたから、日本人との結婚を認めないので、日本人の妻をオーストラリアに連れて帰るのは大変だったということですよ。でも、僕はオーストラリアでは、母親が日本人だからと言って、個人的にはいじめられたという経験はないんですよ。それよりも、日本人の母に対する差別は、今でも許せない気持ちなのです」

「どんなことが、あったんですか?」

初対面の人に話すには、余りにもつらい経験なのか、ケリーはそのまま口をつぐんでしまった。そして、ただ黙って自分で杯に酒を注ぎ、ぐいぐいと飲み始めた。

ケリーが黙ったことで、座敷がしらけてきた。もてなし役の三人も、どんな会話を続けていいものかとまどったようだ。、

「先生、今日は、お疲れでしょう。ありがとうございました。今晩はゆっくり休んでください」と、学長が言い、ケリーの歓迎慰労会をお開きにした。

注:この物語はフィクションです。

著作権所有者:久保田満里子

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飛鳥の麗人(最終回)

失意のうちに毎日を過ごしていた額田王のところに、十市皇女が自害したと言う知らせが届いたのは、壬申の乱が終わって1ヶ月後のことだった。どういう経緯で毒草を手に入れたのか定かでないが、十市皇女は毒薬をあおって血を吐いて倒れているのを侍女が見つけたのだ。

夫の死のあと、床に就くことも多く、額田王に、

「生きていくのが虚しくなりました」とよくこぼしていたが、明らかに世をはかなんでの自殺であった。

皇女の死を聞いて駆けつけた額田王は、まだ体のぬくもりの残っている皇女の体を抱きしめて号泣した。

泣くだけ泣いて気が治まったところで、十市皇女が額田王に書き残した手紙を、十市皇女の侍女から手渡された。

涙でかすんだ目で読んだ手紙には、葛野王は乳母に託したこと、そして葛野王をよろしく頼むと書かれていた。

十市皇女の葬儀で、額田王は天武天皇となった大海人皇子にあった。天武天皇に会うのは、4年ぶりのことだった。額田王は葬儀のあと、天武天皇を散歩に誘った。天武天皇はお供の者に10歩離れてくるようにと言って、ススキの生え茂る野原の小道を先に歩き出した。額田王はそのあとを黙ってついて歩き始めた。

沈黙を破ったのは、天武天皇だった。額田王のほうを振り向いて言った。

「額田、散歩に誘ったのは、そちなのに、なぜ黙っている。何か言いたいことがあるのであろう」

「大君、私は大君を恨んでおります」

そういうと、天武天皇は額田王の目を避けて言った。その横顔は悲しげであった。

「わかっておる」

「大友皇子がなくなられた後、なぜ一度も十市を見舞ってくださらなかったのです」

「なぜ?」天武天皇は額田王の顔を射るような目で見た。

「それは、十市に合わせる顔がなかったからだ。十市から大友皇子と和解してほしいと文をもらったが、その返事も書けなかった。それは、できぬことだったからだ。正直にそんなことはできぬと言えば、十市はますます傷つくだけだと思ったからだ。十市のことを全く考えなかったわけではない。そなたと同様、朕も十市の親じゃ」

天武天皇の目に光る涙を見たとき、初めて天武天皇の悲しみが、矢で心臓を突き刺すように、額田王に伝わってきた。額田王は娘の死の悲しみを同じように分かち合える人に初めて会った気がした。

「大君、十市皇女が大友皇子に嫁ぐことが決まった日のことを覚えていらっしゃいますか」

「ああ。兄上から婚姻の話があったとき、そなたは大喜びしていたな」

「ええ。天智天皇が一番期待をかけていらした大友皇子でしたから。十市皇女も大友皇子を慕っておりました。だから、これ以上のご縁はないと、天にも昇る気持ちでした。あなたさまがあんな乱など起こさなければ、今頃十市皇女は皇后になっていたことでしょう」

「そうだな。あの時は、まさかこんなことになるとは夢にも思わなかった」

そのあと、二人は並んで琵琶湖の美しい水面が太陽に照らされきらきら揺れ動くのを黙っていつまでも眺めていた。

それが、二人が交わした最後の会話であった。

額田王は十市皇女の死後、屋敷にこもって和歌を書き続けた。和歌だけが、額田王に最後に残された生きがいであった。しかし、宮廷で呼ばれることもなくなった額田王の書いた歌は、和歌集に載せられることはなかった。額田王が屋敷にこもっている間に、すでに時代は柿本人麻呂の世に移っていた。

 

参考文献

壬申の乱(松本清張)講談社

隠された帝(井沢元彦)祥伝社

文車日記「額田女王の恋」(田辺聖子)新潮社

額田女王 (井上靖)新潮文庫

茜に燃ゆ:小説額田王(黒岩重吾)中央公論新社

インターネット:

額田王:ウイキペディア

歴史の智恵:額田王の男女15人の恋物語

 

著作権所有者:久保田満里子

 

 

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飛鳥の麗人(3)

大友皇子の予想に反して、最初少人数だった大海人皇子の軍勢は近江京に向かう途中で、どんどん地方の豪族の兵を加えて膨れ上がっていき、数万の軍になっていた。その上、朝廷方だと思われていた豪族の間で、仲間割れや裏切りも相次ぎ、勢いついた大海人皇子の軍は近江京に突入した。大友皇子は都は抜け出たものの逃げ場がなく、結局松前で首をくくって死んでしまった。

大友皇子の悲報を聞いた額田王は、十市皇女の身を案じて、すぐに十市皇女に会いに行こうとしたが、侍従から街中は今不穏な状態なので、外出をしないほうがいいと、とめられた。それで仕方なく侍従に都の様子を探らせた。

そわそわ部屋の中を歩き回って侍従の帰りを今か今かと待っていた額田王の前に、侍従があわただしく部屋に入ってかしずいたのは、3時間後であった。

「どうでした。十市皇女は、ご無事ですか?」

気が焦って聞く額田王の声は、うわずっていた。

「ご無事でございます」と言う言葉が戻ってきたとき、ほっと安堵のため息をついた。

「ああ、よかった。それで、葛野王は?」

「はい、十市皇女様と一緒に宮殿にいらっしゃるとのことです」

額田王は、今までの不安が去ると、へなへなとその場に座った。

「ただ…」

そのあと、侍従は言葉を続けた。

「朝廷にお味方された方々が、大海人皇子のご命令で、次々首をはねられている状態で、まだ処罰の決定されていない者もおり、そのご採決を待っているとのことです」

「と、言うことは、十市皇女が無事でいられるという保証はないということか」

「はい。でも、十市皇女様は、大海人皇子のご息女。よもや大海人皇子様が十市皇女様を殺めることなど、なさるはずがございません」

侍従は自信をもって言ったが、額田王は確信がもてなかった。大海人皇子一人が採決するのなら、勿論娘に危害を加えるとは思えない。しかし、大海人皇子の側にいる鸕野讚良皇女の勝気な目を思い出した額田王は、一抹の不安をおぼえた。居ても立ってもいられなくなった額田王は、自分の書く手紙など、読んではくれないかもしれないが、ともかく十市皇女と葛野王に危害を加えることだけはしないでくれと、大海人皇子に懇願の手紙をしたためた。そしてその手紙を侍従に持たせ、必ず大海人皇子にお渡しするようにきつく申し付けて、その返事を待った。

朝使いに出た侍従が戻ってきたのは、日も暮れかけた頃であった。

侍従の顔を見ると、額田王は侍従の挨拶の言葉も待たず、

「大海人皇子にお会いできたか?」と、聞いた。

「はい。大海人皇子様はお忙しそうで4時間待たされましたが、お返事を頂いてまいりました」と、侍従は恭しく両手でその手紙を差し出した。

侍従からひったくるように取って読んだその手紙には、次のようなことが書かれていた。

「懐かしい額田王、

そなたの手紙を受け取り、久しぶりにお前と過ごした日々を思い出した。

お前と十市は、私が大友皇子を死に追いやったことを恨んでいるやもしれぬが、大友皇子が天皇になったとき、まず大友皇子の政権を脅かすものとして、私の命がねらわれるのは、目に見えていた。お前も兄上のやり方をみていたであろう。ライバルになる者は容赦なく殺害していったことを。だから、やられる前に、大友皇子の政権をつぶしたのだ。

お前は十市のことを心配しているが、十市に手出しをするようなまねは決してしない。十市は私にとっても初めての大切な子なのだ。だから、安心してくれ。十市にも、そのように伝えてくれ」

大海人皇子の手紙からは、額田王と十市に対する思いやりが感じられ、額田王は壬申の乱が起こってから、初めて心安らかに眠ることができた。

翌日その手紙を持って十市皇女に会いに行った額田王は、十市皇女が夫の死の衝撃から床に就いたまま起きられなくなっていたのを知った。

寝ている十市皇女の枕元で、額田王は、大海人皇子の手紙を読んで聞かせた。これで、少しは十市皇女の気持ちが休まることを期待していたのだが、十市は上の空で聞いていた。そして、

「母上。私も大友皇子様と一緒に死にとうございました。たとえ生きながらえても、どのような未来が待っているのかと思うと、不安でなりません」と言うと、ハラハラ泣いた。

「そんな気弱なことで、どうするのです。葛野王を守れるのは、そなただけです」

額田王は、十市皇女を叱咤激励して宮殿を去ったが、十市皇女が生きる気力を失っている姿が目に焼きついて、心が痛んだ。

大海人皇子が即位し、天武天皇になってから、額田王は宮中にあがることがことがなくなった。それまで、大きな宴があれば、宮廷歌人として、必ず呼ばれていたのだが、呼ばれることもなくなった。それには皇后になった鸕野讚良皇女の意向があるのを額田王は、感じた。

著作権所有者:久保田満里子

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飛鳥の麗人(2)

天智天皇が崩御されて1ヶ月も経つと、額田王の耳に不穏なうわさが耳に入ってくるようになった。

「大海人皇子が、乱を起こされるそうだ」

自分には天皇の位など興味はないと言って吉野に隠遁したはずの大海人皇子だが、今は皇子の后となり、大海人皇子について吉野山にいった野心満々の鸕野讚良(うのささら)皇女(後の持統天皇)が、一生吉野の山奥に引っ込んでいるとは、額田王には思えなかった。大海人皇子は物静かな大田皇女を寵愛されていたが、大田皇女は病気で亡くなられ、その後は同じ同母姉妹とは思えない大田皇女の妹で勝気な鸕野讚良皇女を寵愛されるようになった。大友皇子と鸕野讚良皇女はどちらも天智天皇の御子とは言え、大友皇子の母親が伊賀の豪族の出なのに対して、鸕野讚良皇女の母上は名門蘇我一族の出である。母親の出自がものをいう時代だから、鸕野讚良皇女は、大友皇子を目下に見るきらいがあった。その頃の貴族は年少の頃は母親に育てられるので、同母兄弟ならともかく、異母兄弟は他人同然である。大友皇子に対する反感はあっても、好意を持っているとは言えなかった。

大海人皇子が、大友皇子と一戦を交えるとなれば、十市皇女にとっては、父親と夫の対戦になり気も休まらないだろうと、額田王は気が気ではない。大海人皇子には10人の后から22人の子供が生まれているが、初めての子供の十市皇女が可愛くないはずはない。額田王は、戦のうわさを耳にすると、すぐに十市皇女に会いに行った。

しばらく部屋で待たされ、衣擦れの音が聞こえてきたかと思うと、十市皇女が現れたが、顔は憂いをおび、焦燥していることがすぐに見て取れた。

「母上様、お久しぶりでございます」と、十市皇女は手をついて挨拶をした。

「ええ、天皇が崩御された時以来ですね。最近は父上から何か便りでもありますか?」と、額田王が探りを入れると、十市皇女は悲しそうに首を横に振った。

「いいえ。母上は何か父上から聞かれましたか?」

額田王は思わず苦笑をしてしまった。

「そなたの父上とは、もう3年も会っていません」

「ということは、蒲生野の狩以来、会っていらっしゃらないのですか」

「ええ」と答えながら、天智天皇主催の狩の余興の席で歌った歌のことを思い出した。

あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖振る」

(茜色を帯びる、あの紫草の野をいき、標野を散策しているわたしにあなたは袖をおふりになられていますが、野守にみつかってしまいますよ)

と額田王が詠うと、すぐに大海人皇子から、歌がもどってきた。

紫野にほへる妹を憎くあらば人妻ゆえに吾恋ひめやも

(紫草のように美しい君をすきではなかったら、もう人妻になっているのにこんなに恋しいと思うわけがない)」

あの頃は、まだお互いに対する気持ちがくすぼっていたように思うが、今の状況では、そんな気持ちも吹き飛び、ただただ十市皇女の身が心配である。

「本当に父上は攻めてこられるのでしょうか?」

「攻めてこられる可能性は大いにあります。父上のそばにいらっしゃるのは鸕野讚良皇女様。皇女様には父上との間に草壁皇子がいらっしゃいます。きっと野心家の鸕野讚良皇女にとって、大友皇子が天皇になることは我慢のならないことでしょう。もし大友皇子が天皇に即位されれば、草壁皇子が天皇になれるチャンスは皆無となりますから」

「でも大友皇子と鸕野讚良皇女は、ご兄弟ではありませんか」

「そなたの父上も天智天皇も、舒明天皇と斉明天皇の皇子、同じ母君をもつご兄弟です。権力争いは血で血を洗うもの。このさい、大友皇子を信じて、大友皇子に従う以外ありません。そなたの役目は葛野王を守ることです」

十市皇女は、うつむき、悲しげに

「どうして皆権力のために命を懸けて戦わなくてはならないのでしょうか」と、つぶやいた。

「それほど、権力というものは、魅力のあるものなのでしょう。天智天皇も即位される前には、天皇家をしのぐほどの権力をもっていた蘇我入鹿を暗殺し、ライバルだった

異母兄の古人皇子、母君の弟君であった先の孝徳天皇の皇子の有間皇子をすべて謀反の疑いがあるという名目で殺されました。権力というものは、恐ろしいものです」と、額田王は答えた。

「ともかく、父上に手紙をしたためてはいかがですか」と、十市皇女にすすめて、1時間後には、額田王は自分の館に戻った。

実際に額田王と十市皇女の不安が現実のものとなったのは、天智天皇の死後半年後だった。いわゆる、壬申の乱である。吉野山を出た大海人皇子の率いる兵の数は当初20人ばかりだった。

大海人皇子が兵を率いて吉野山を出たというニュースを聞き、額田王は、すぐに十市皇女のもとに駆けつけたが、十市皇女は思ったより落ち着いていた。

「父上のことも心配ですが、母上のおっしゃるとおり、私にとっては葛野王を守ることが一番大事なことです。ですから、私は大友皇子に従っていくことにしました。大友皇子は、父上の率いる兵の数はしれたもの。だから、都に入る前に決着がついているだろうと言われました」

「父上には、手紙を書いたのですか?」

「書きましたが、何もお返事が来ませんでした。母上はきっと父上を応援していらっしゃるのでしょうね」

十市皇女が探るような目で額田王を見た。

「そなたの父上は、もう私とは縁の切れたお方。今の私にとっては、そなたの身が一番心配です」

たぶん10年前だったら、こんな言葉は出ては来なかっただろう。その頃は恋に生きていたのだから、娘のことは二の次だった。しかし45歳になった額田王にとって、昔の恋人は、遠い過去の人となっていた。

比較的落ち着いていた十市皇女を見て、額田王も安心した。

著作権所有者:久保田満里子

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飛鳥の麗人(1)

時は、671年12月3日。近江京の宮殿の中で、額田王は、白い喪服に身を包んで、天智天皇の死を悼んでいた。天智天皇はしばらく病を患われていて、余命いくばくもないと聞いていたので、崩御されたと聞いた時、とうとうその時が来たかという思いだった。すぐに天皇のおそばに駆けつけたが、正妃の倭姫様を始め、お子をなした数々のお后がいらっしゃり、天智天皇との間に子供もいない額田王は、部屋の隅に、ひっそりと身をおいた。あちらこちらでお后や天皇の御子達のすすり泣きがもれ聞こえた。そんな中で、額田王は、天智天皇に愛された日々のことを懐かしく思い出していた。天智天皇がまだ中大兄皇子と呼ばれていた頃、皇子の母君の斉明天皇のお供をして、隣国の新羅の国から攻撃を受けていた朝鮮半島にある百済の国に援軍を出すために、筑紫の国(九州)に向かう途中、熟田津(愛媛県松山)で、皇子に請われて詠んだ歌のことを思い出した。

「熟田津に船乗りせむと月待てば、潮もかないぬ今は漕ぎ出でな」

(熟田津で船に乗ろうと月の出を待っていますと、月が出てきたばかりでなく潮も満ちてきて、船出に具合がよくなりました。さあ、今こそ漕ぎ出しましょう)

この歌を歌ったとき、中大兄皇子から絶賛され、誇らしく胸が高鳴ったことを思い出した。あの頃が一番天皇に愛されていたような気がする。

もの言わぬ天皇の側に、天皇の弟で、額田王にとっては前夫となる大海人皇子との間にできた娘の十市皇女の姿も見えた。天智天皇の跡継ぎとして期待されている天皇の長子、大友皇子の后となった十市皇女は、天皇の亡骸のすぐそばにいる大友の皇子のすぐそばで悲壮な顔をして控えていた。その傍らには、十市皇女と大友皇子との間にできた葛野王(かどのおう)の小さな姿も見えた。十市皇女に声をかけることもためらわれて、額田王は、ひっそりと一人、宮殿をあとにして、自分の館に戻って行った。

額田王が自分の館に帰り、喪にふしているとき、幼友達の鏡女王が訪れてきた。鏡女王とは、何年も会っていない。鏡女王も一時は天智天皇に愛されたが、天皇に飽きられて、中臣鎌足に無理やり嫁がされてしまった。鏡女王も、額田王と同じくらい、天智天皇の崩御には衝撃を受けているであろうが、立場上、天智天皇のお側に駆けつけることはできない身であった。

はたして、額田王が鏡女王と差し向かいに座ると、鏡女王の目は腫れあがっていた。

「額田王様、天智天皇の亡骸を見ましたか?」

「ええ。でも天皇のお側にはたくさんのお后や御子がいらっしゃり、天皇のお顔を見ることはできませんでした。鏡女王様も、さどかしお心が悼むことでしょう」

「ええ。あなたの忠告も聞かず、天皇のおそばにいたいと、飛鳥から中大兄皇子が住んでいらした難波に移ってしまったのは、大きな誤りでした。時々お会いしていたからこそ、天皇も私のことを大事に思ってくださったのでしょう。でも難波に移ってから、いつでも天皇にお会いできると思っていたのに、天皇の周りには数多くの女人がいるのに我慢ができなくて、嫉妬に苦しむようになりました。そのため天皇をなじったりしたので、天皇にうとまれるようになってしまったと、悔やんでおります」

「でも、鎌足殿とは、仲むつまじく暮らされたと聞いております。鎌足殿が病気に伏せられたとき、快癒祈願のために興福寺を建てられたではありませんか」

「ええ。鎌足は私を天智天皇からの贈り物だと、とても大切にしてくれたのは、本当です。天皇に対する燃えるような想いはもてませんでしたが、夫として申し分のない方でした。興福寺を建てたものの、夫の快癒はならなかったのが、残念です。夫も逝き、天皇も崩御され、むなしい思いでいっぱいです」

「そういえば、『君待つと、わが恋ひをれば わが屋戸のすだれうごかし 秋の風吹く』(あなたが来るのを恋焦がれて待っていると、秋の風がすだれを動かして吹いていく)と、私が天智天皇への想いを歌ったとき、あなたは『風をだに 恋ふるは羨し 風をだに来むとしまたば 何か嘆かむ』(風の音にさえ恋を感じ胸をときめかすあなたがうらやましい、訪れてくる人さえいない今の私は風だけでも来ないかと待つ心境だ)と歌ったことがありましたね。あの頃は、二人とも天智天皇のお気持ちを自分のほうに向けてもらうために、競い合っていましたね」

「恋敵でしたね、私達」

二人は顔を見合わせて、微笑みあった。

「額田王様は、大海人皇子とは会われることはないのですか?」

「あなたもお聞き及びのことと思いますが、天皇は最初弟君である大海人皇子に位を譲るおつもりでしたが、聡明な大友皇子が成長されると大友皇子に対する期待が大きくなり、お気持ちが変わられたようです。ですから、大海人皇子は天智天皇との衝突を避けて、身を引いて吉野山に隠遁されてしまったので、お会いすることもありません」

「そうですか。時折、あなたは大海人皇子と天智天皇と、どちらをより深く愛してたのか、考えることがあります」

額田王は、鏡女王の好奇心溢れる目が、自分に注がれているのを感じ、

「それは…」と一息置いて、首を傾けて考えた。

しばらくたって、やっと額田王は口を開いた。

「自分でもよく分かりません。大海人皇子に愛されていたときは、大海人皇子以外の人を好きになるなんて、思いませんでした。でも、天智天皇から言い寄られたとき、大海人皇子は天智天皇の皇女4人も后としてもらい、その中でも特に大田皇女に心を移され、私には見向きもされなくなってさびしい思いをしていたせいか、天皇に心惹かれてしまいました。でも、今から思えば、天皇は、私が大海人皇子の最初の后であったこと、そして私が宮廷歌人として名を上げていたことに対して、興味をそそられただけだったのかもしれません。王者として何でもほしいものを手にしなければ気のすまない方でしたもの。もっともそんな方であったからこそ、私も天智天皇に心を奪われたのだと思います」

「あなたが名だたる宮廷歌人なことは確かですが、天皇は、ほかの女人には見られないあなたの知的な美しさに魅了されたのだと思います」

額田王は、かつての恋敵だった鏡女王から美しいと言われて、少し心をくすぐられたような思いがした。

鏡女王が去ったあと、額田王は、鏡女王と自分の身の上を考えて、物思いにふけった。自分の館で愛する人を待たなければいけない女の身が、いまさらながらせつなく物悲しかった。

著作権所有者:久保田満里子

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謎の写真(最終回)

田辺は淡々と話し始めた。

「あの写真に写っていたのは、私の曾祖母の高田榮です。あの写真からも分かるように、曾祖母は美人で、名古屋の実業家の目に止まり、その実業家と結婚したんです。ところが、その男、非常にヤキモチ焼きで、曾祖母がたとえ御用聞きの男であれ親戚の男であれ、男と話をするのを極端に嫌いましてね。曾祖母が嬉しそうな声で話そうものなら、そのあとは曾祖母をめちゃくちゃ殴りつけると言った具合だったようです。今でこそ家庭内暴力は社会問題となっていますが、戦前のことですからね、夫は妻を殴る権利があるくらいの認識しかなかったんですよ。曾祖母は子供が生まれれば、夫の暴力が収まると思って、随分我慢したようですね」

田辺の話は、ウエートレスが、前菜を持ってきたので、一旦中止された。

ウエートレスが去ると、田辺は話を続けた。

「ところが子供が生まれてからも、夫の暴力は一向に収まらなかったんですよ」

良子は、思わず口をはさんだ。

「今さっきから、曾祖母さんのご主人のことを、あの男とか夫とかおっしゃっていますが、田辺さんにとっては曾祖父さんにあたるのでは、ありませんか?なんだか、自分とは関係のない男のような言い方をされていますが」

「まあ、血のつながりはありますが、僕としては、余り関わりたくない人物ですねえ」

「そうですか。話の腰を折ってしまって、すみません。それで、何が起こったのですか?」

「ある日、女中が『今度生まれたお嬢さん、余り、ご主人に似ていないわねえ』と言っているのを小耳に挟んで、逆上した曾祖父は、曾祖母を殴り殺されてしまったんですよ」

「えっ!」

思わぬ話の展開に、良子は声をあげた。そして慌ててシャーリーに説明すると、シャーリーも目をぱちくりとさせた。

「それで、どうなったんですか?」

「どうやら、曾祖父は曾祖母が死ぬとは思わなかったので、ぐったりなっていた曾祖母を物置小屋に閉じ込めて、翌日見に行って、死んでいるのを見て、うろたえたようですよ。そして、慌てて死体を小屋の近くの土を掘って、埋めてしまったそうです。そして曾祖母の失踪を、男と駆け落ちしたと言いふらして、ごまかしたそうです」

「どうして、ひいおじいさんが殺したなんて言えるんですか?ひいおじいさんが誰かに話したんですか?」

「まさにその通りです。曾祖父は亡くなる前、しきりに曾祖母の幽霊が出てくるとうなされるようになり、曾祖父の介護をしていた、祖母に話したんだそうです」

「祖母はもう余命いくばくもない父親を、母親殺害の罪で暴き立てる勇気もなく、毎日悶々と過ごしているうちに、曾祖父は亡くなったそうです。父親の葬式が終わったあと、母親を埋めたという所の土を掘り返して、白骨と化した母親をみつけたそうです。女中からあんなことを言われたものだから、曾祖父は、祖母は自分の子ではないと思ったらしく、すぐに親戚の田辺家に養女として出したんですよ。そのあと曾祖父は再婚して、子供を三人も授かったのに、財産を全部政治資金として使い果たしたため、子供たちからも愛想を尽かされ、最後には看取る人もいなかったので、田辺家の養女に出された祖母は父親をかわいそうに思って、介護したということです。祖母は父親が死ぬ間際まで、自分が養女に出されたのは、父の再婚の妨げになったからだろうと単純に考えていたので、父親の告白は衝撃の強いものだったようです。そして自分は母親の不倫の子かどうか調べるために、最近父親の親戚筋の人に協力してもらって、DNA鑑定をしてもらったそうです」

「結果は、どうだったんですか?」

「間違いなく、曾祖父の子だったそうです。祖母は母親を信じなかった父親を恨みましたが、父親の犯罪は、胸の内深くおさめ、母親の墓は父親とは別に作り、頻繁にお参りしたそうです」

話があまりにも深刻だったので、良子もシャーリーも目の前に出された料理に手を付けずにいた。

田辺は話し終わると、

「私の話は、おしまいです。天ぷらが冷たくなっちゃいましたね。食べましょう」と気をとり直したように、料理をすすめた。

「どうして私が、曾祖母のことを、他人にほじくり返して欲しくなったか、わかっていただけましたか?我が家の恥ですからね。特に犯罪者を裁く検事としては、皆に知ってほしくはないことだったんですよ」

良子は、あの写真に写っていた人の不幸だった結婚生活を思うと胸がつまり、いつもなら飛びつく美しい皿に盛られた天ぷらを見ても、一向に食欲が湧かなかった。シャーリーも同じ気持のようで、ふたりとも黙ったまま、ゆっくりと箸を動かした。窓の外で、雨が降り始めたらしくパラパラと言う音がかすかに聞こえた。

「雨ですね」と言う、田辺の声が、重ぐるしい空気の中に、感慨深げに漂った。

注:この物語はフィクションです。

著作権所有者:久保田満里子

 

 

 

 

 

 

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謎の写真(4)

翌日、良子は午前5時には目が覚めた。オーストラリアとの時差もあったが、それ以上に今日会う田辺が、一体写真に関して、どう弁明するのかが気になったためでもあった。シャーリーも5時半には目を覚まし、朝食の時間まで、ホテルの周りを二人で朝の散歩した。ところどころにある信号の警報機が「ピーポ、ピーポ」と鳴るのを聞いて、良子は「ああ、ここは日本なんだな」と改めて思った。オーストラリアの「ピ、ピ、ピ」と急かすように鳴る警報機より、のんびりしているように感じられる。

検察庁は9時から開いていると聞いていたので、良子たちは、8時半にはホテルを出た。検察庁には9時5分前には着いた。

ビルの前で、5分を過ごし、9時かっきしに、二人はきのう会った受付嬢の前に立った。

受付嬢は二人を見るとすぐに、

「田辺検事の事務室は2階にありますから、2階へどうぞ」と言ってくれた。

2階の部屋のドアに「田辺聡」と書いてあるところを見つけ、ノックすると、すぐに「どうぞ」と、中から声がした。

ドアを開けると、すぐ部屋全体が見渡せたが、その部屋の奥の窓際のところに大きな机があり、その机の前に、似顔絵そっくりの男が立っていた。

「田辺検事ですか?」と良子が聞くと、

「そうですが‥」と言って、不審そうに良子とシャーリーの顔を代わる代わる見た。

良子は、シャーリーを一瞥して、

「こちら、栄子さんの写真の持ち主だった、シャーリーさんです」と言うと、田辺の顔色が変わった。しかし、すぐさま平静を取り戻して、

「何のことでしょうか?」と、とぼけた。

今度は良子のほうが気色ばんで、

「とぼけないでください。どうして前島豊だなんて、偽名を使って、写真を持って行かれたんですか」と、声を荒らげて聞いた。

田辺の顔が一瞬ゆがんだ。

「偽名を使ったのは認めますが、あの写真に写っているのは本当に私の曾祖母なので、あの写真を受け取る権利はあると思います」

彼の言ったことを訳してシャーリーに伝えると、今度はシャーリーが怒って、

「元々あの写真は私の買ったものの中に入っていたのですから、私のほうが法的には保持する権利があると思います」とまくしたてたのを良子はすぐに日本語に訳して田辺に伝えた。

「それは、お金を払ってほしいと言う意味でしょうか」と、田辺が聞いた。

「そういう訳ではありません。シャーリーさんは、あの写真に写っていた女性がどんな人だったのかに興味を持って、写真を取りに来たあなたに聞きたいと思って、オーストラリアから訪ねてきたのです。最初は、ただそれだけでしたが、あなたが偽名まで使って写真を取りに来たので、ますますどうしてあなたは写真を持っていったのを隠そうとしたのか、是非聞きたいと思って伺ったのです」

田辺は良子の言葉に、どう答えようかと迷ったようだ。その時、ドアのノックをする音とともに、中年の背広を来た男が入ってきた。良子たちが部屋にいるとは思っていなかったようで、びっくりしたように良子たちを見た。

「これは失礼。お客様でしたか」

「いや、白川くん、いいんだ」と、田辺は言い、良子に向かって、

「今から、裁判所に行かなくてはいけないので、あなた方の質問の答えは、今晩にでも会ってから、お話したいと思います」

「いいですよ。時間と場所さえ教えていただければ」

「駅前の時計台のあるところを知っていますか?」

「ええ、知っています」

「それじゃあ、午後7時に、そこで会いましょう」と、言うと

「さあ、白川くん、行こう」とかばんを持って、良子たちを追い立てるようにして部屋から出し、白川と一緒に歩き去った。

廊下に取り残された二人は、果たして田辺が来るのだろうかと疑問を持ったが、田辺の言葉を信じて、午後7時まで待つ以外、方法が見つからなかった。

またもや、一日観光する時間ができた。名古屋では、たいして見るものもなさそうなので、レールパスを使って二人で京都に遊びに行って、午後6時半名古屋着の新幹線で戻り、駅の時計台の前に行った時は時計の針が6時45分を指していた。時計台の前は、名古屋の人の待合によく使われているようで、人待ち顔の、熟年女性や、若い女男、学生の姿で賑わっていた。時計台の時計が7時の鐘を打ち始めると、良子はキョロキョロと辺りを見回すと、田辺が急ぎ足で近づいてくるのが目に入った。

「このビルの10階に食堂街があるので、そこで晩御飯を食べながら、話しましょう」と言う田辺は、今朝会った時の予防線を張るような硬い態度がすっかりとれて、物柔らかい物腰になっており、良子たちを当惑させた。

田辺が連れて行ってくれたのは、高級な感じの日本料理店であった。

席に座ると、

「今朝は随分失礼なことを言ってしまって、申し訳なかった。ともかく、写真を返してもらったお礼も兼ねて、僕がごちそうしますから、何でも注文してください」と言った。どうして急に態度が変わったのか、腑に落ちず、良子達は落ち着かない気持ちだったが、今朝の田辺の態度にむかっ腹が立っていたので、一番高い懐石セットを注文した。

注文を受けたウエートレスが去ると、良子は疑問を正直に田辺に投げかけた。

「今朝はケンモホロロでしたが、何かあったのですか」

良子の単刀直入な質問に、田辺は苦笑いを浮かべた。

「いや、実は、写真を返して下さった方に、新聞社を通してお会いすると、曾祖母のことがメディアに取り上げられるのではないかと思い、 偽名を使ったんですよ。それにあなた方が急に現れたものだから、どう対処していいか分からなくて、失礼しました。でも、後になって考えると、正直にお話するのが一番良いと思いましてね。ただ、余り他人には知られたくない話なので、新聞社の方には言わないでいただきたいのですが、お願いできますか?もしも約束できないということなら、私としても何も話したくないのです」

『他人には知られたくない話』と聞くと、余計に知りたくなるのが人情である。柳沢からは、事情がわかったら教えてほしいと言われたが、何も柳沢と約束したわけではない。そう良子は自分の都合の良いように解釈して

「いいでしょう。新聞社には知らせません」と、顔を引き締めて言った。そしてシャーリーにも英語に訳して説明すると、シャーリーも、「イエス、オフコース(勿論よ)」と言って同意した。

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謎の写真(3)

柳沢は、しばらく腕を組んで考えていたが、はっとしたように言った。

「そういえば、背広にバッジをつけていましたね。なんのバッジだったかなあ」

そこで沈黙が訪れた。良子もバッジをつけるような仕事ってなんだろうと頭を巡らせた。そういえば、議員は、バッジをつけているなと思い

「たとえば議員バッジとか」と言ってみた。

「議員のバッジじゃなかったですねえ。もっとカラフルな感じだったなあ」

またまた良子は宙に見据えて、頭を巡らせた。

『そういえば、私の好きなNHKの法律相談のコメディー風の番組で出てくる弁護士がいつもバッジを胸につけているわね』

「もしかしたら、弁護士バッジではありませんか?」と聞くと

「そういえば、弁護士さんもバッジをつけますよね。でも、実際に見たことがないから、わからないですね。弁護士のバッジって、どんな物なんでしょうかねえ」と言うので、

良子は早速スマートフォンを使って弁護士バッジを検索した。

そこには、こう書かれていた。

「通常のものは純銀製で金メッキが施されているが(使い込まれたことによってメッキが剥げた場合、あるいは故意にメッキを剥がした場合には、地金の銀が見えてくる)、本人の希望により純金製のものが交付される。表面は、16弁のひまわり草の花の中心部に秤一台を配したもので、花弁の部分は金色、中心部地色は銀色である。裏面には「日本辯護士連合會員章」の文字、及び登録番号が刻されている。」

良子がそこに書いていることを読み上げると、

「さあ、どうだったかなあ」と、柳沢は、よくわからないと言ったふうである。

そこで、『バッジ』とだけ入力して検索すると、次から次へとバッジの写真がでてくるので、良子のほうがびっくりしてしまった。

代議士は菊の紋章だということくらいは知っていたが、弁護士を始め、検察官、裁判官、弁理士司法書士、海事代理士、土地家屋調査士、行政書士、公認会計士、税理士、保育士等などがあり、その画面を柳沢に見せると、柳沢の目は検察官のところで止まった。

そして「これだ、これだ!」と言うので、良子が見ると、

それは、白い花びらのような物が三枚重ねに上下左右とあり、白い花びらの間にはこれまた金色の花びらのような三枚重ねが背景になっている。真ん中はルビーのような赤い石が入っていて、かなり目立つ。

「その人、検察官だったんですか」

「どうも、そうらしいですね」

良子は、こんなに早く対象を絞れる手がかりが見つかるとは思わなかったので、思わず「よかった!」と声をあげた。良子の声に、周りの客が良子の方を見たので、慌てて口をおさえた。

「検察官なんて、そんなにたくさんいないから、調べやすいですね」と、柳沢も少し興奮気味に言った。

「それじゃあ、早速検察庁にあたってみますね。ご協力、ありがとうございました」と、良子は柳沢に頭を下げた。

柳沢は、「じゃあ、僕はこれで」と、コーヒー代をテーブルに置こうとしたので、良子は「ここは、私達で払いますので」と言うと、柳沢はにっこりして「じゃあ、ごちそうになります。もし、写真の女性のことがわかったら教えて下さい。面白い記事が書けるかもしれませんから」と、新聞記者らしいことを言って、席を立った。

柳沢がいなくなったあと、良子はまたスマートフォンで検察庁を検索した。それまで良子は検察庁のことをあまり知らなかったのだが、スマートフォンで得た情報によると、

名古屋には、高等検察庁、地方検察庁、区検察庁の3つがあり、すべて、名古屋城の近くのビルにあった。

「シャーリー、電話をかけるより、実際に検察庁に行ってみない?運が良ければ、前島さんに会えるかもしれないわ」と言うと、シャーリーは賛成をした。

「名古屋城の近くにあるみたいだから、検察庁に行ったあと、名古屋城の見学をしましょうよ。とは言え、名古屋城って、コンクリートでできた建物で、姫路城ほどの風情はないけれど」

「それいいわね。私、名古屋って初めてなのよ。名古屋見学もできるなんて、嬉しいわ」と、ふたりとも、もうすぐ前島に会えそうだと、心も軽く、名古屋検察庁に向かった。

名古屋検察庁の建物に入り、受付嬢に、前島豊検事にお会いしたいと言うと、受付嬢はけげんそうな顔をして、言った。

「前島豊ですか?そういう名前の検事はおりませんけど」

良子は、驚いてシャーリーの顔を見て、

「前島豊という人はいないって」と言うと、シャーリーも「えっ?」と言って、思わず二人は顔を見合わせた。途方にくれて、しばらくその場に立っていたが、受付嬢に用事があるような人が来て、良子たちの後ろに立ったので、その場は一時退散することにした。

「どうしたんだろう。前島豊って、偽名だったのね。でも、どうして偽名を使う必要があったのかしら?」

良子の疑問はだんだん膨らんできた。

「良子、これからどうすればいいかしら」

心細そうにシャーリーが言った。

「その人、検察官なのは間違いないと思うの。だって、身元を隠したがっている人間が、わざわざ検察官のバッジを誰かに借りてまで、身に付けるはずないわ」

二人で、これからどうすればいいかを考えていたら、突然良子が

「そうだ!似顔絵があるわ」と言い出した。

「似顔絵をどうするの?まさか玄関で一日中彼らしき人を見つけるまで見張っているつもりじゃないでしょ」

「そんなことしなくても、受付嬢に見せて、どの検察官に似ているか、聞いてみるのよ」

「それは、グッド アイディア」と、シャーリも同意した。

二人はすぐに受け付けに舞い戻って、

「あのう、こんな顔の検事さんはいませんか?」と言って、柳沢が描いた似顔絵を受付嬢に見せた。

すると、すぐに反応があった。

「ああ、この方なら、田辺検事ですね」

「田辺検事?その検事さんに会えませんか?」勢い込んで良子は言った。

「残念ながら、今日は一日中出かけていて、明日にならないと帰ってきません」

良子は、一瞬がっかりしたものの、

「明日にはお会いできますか?」と聞いた。

「明日の午前中にいらっしゃれば、会えると思います。失礼ですが、お名前は?」と、良子とシャーリーの顔を見比べながら言った。外国人を連れた女が、検事に何の用事だろうと思ったのだろう。

「川口良子です」

「ご用件は?」

そこで、良子ははたと困ってしまった。オーストラリアに渡った写真の事で来たなんて言えば、警戒心をもたれてしまう。何しろ田辺は偽名を使っていたのだから。

「用件は、会ってお話したいのですが‥」と、言うと、受付嬢は、内密の話をしたいのかと思ったのか、すぐに

「分かりました。そのように伝えておきます」と言ってくれた。

その後二人は名古屋城を見学し、名古屋の中心街になる栄の地下街をショッピングし、夜は名古屋名物のうなぎを食べて、観光旅行を楽しんだ。

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謎の写真(2)

良子は、出かける前に、できるだけインターネットで調べられることは、調べておこうと、前島豊の名前で検索してみた。

すると、一人前島豊の検索にひっかかった人物がいた。気功師と書かれていた。横浜在住と書かれているから、この人物が、名古屋在住の前島豊とは思えなかったが、念のためにメールを送ってみた。

「私はオーストラリア在住の川口良子と申しますが、名古屋在住の前島豊さんを探しています。前島豊さんは、新聞社に預けていた友人の持っていた写真を、その持ち主だと言って持って行ったのですが、その後連絡がとれなくなりました。もし写真を持って行った前島豊さんでしたら、ご連絡ください」

良子の出したメールには、すぐに返事が来た。

「お探しの前島豊は、残念ながら、ぼくではありません.前島豊」

簡潔すぎる返事に、良子は拍子抜けした。こうなれば、名古屋に行って、調べる以外ない。しかし、どうやって調べればいいのか、見当もつかない。どうするかは、日本についてから考えようと、良子は諦めの気持ちで、シャーリーと一緒にオーストラリアを発った。

良子とシャーリーが名古屋空港に降り立ったのは、5月の五月晴れの日だった。一旦、名古屋城近くのホテルにチェックインして荷物をおろすと、早速米川を尋ねることにした。今のところ、唯一の手がかりは、米川しかいない。

米川の勤めている新聞社は、名古屋の中心部にある大きなビルにあった。大きなロビーにある受付で、米川を呼び出してもらうと、ワイシャツの袖をまくり上げた米川がすぐに現れた。良子が今日の訪問をメールで知らせておいたからである。米川とは3年ぶりの再会だったが、お互いの親交を温める時間はなさそうで、米川はすぐにロビーの片隅にある喫茶店に良子とシャーリーを誘った。

皆のコーヒーを注文すると、米川は早速話の核心に入った。

「この度は、本当に申し訳なかった。前島と言う人物は、僕の外出中に来たので、僕は実際には会っていないんだ。写真を手渡した同僚から、詳しいことを聞いたんだが、30代ぐらいのメガネをかけたサラリーマン風の男だったそうだ。その同僚、絵を描くのが得意なので、似顔絵を書いてもらったんだが、役に立つかなあ」と、米川はその似顔絵を良子とシャーリーの前に置いた。そこに描かれていたのは、いかにもインテリの優男という感じで、髪は七分に分け、丸顔だが、顎のところは少しとんがった感じである。

「背は高いの?」と、良子はその似顔絵を手にとって見ながら聞くと、

「同僚と同じくらいの高さだったということだから、170センチ前後というところかな」

「その同僚の人には、写真の人物との関係しか言わなかったのね。ねえ、その同僚の人に会わせてもらえないかな。色々聞きたいから」

良子がそう言うと、米川は苦笑いをしながら、

「おいおい、なんだか刑事みたいだな」と言った。

良子は少し照れたように笑って、

「そうね。推理小説の読み過ぎかもね」と答えた。

「それじゃあ、柳沢を呼び出してもらうよ」と、米川は席を立ち、受付に向かった。

その間に良子はシャーリーに、今米川から聞いたこと、そして写真を手渡したという柳沢と言う米川の同僚を呼び出してもらうことを説明した。シャーリーは、「じゃあ、その柳沢という男が、受取人のことを聞かないで写真を渡したバカっていうことね」と言うので、良子は慌てて、

「そんなこと言っちゃあダメよ。その人英語が分かるかもしれないから」とシャーリーをいさめた。

米川は、良子たちのいるところに戻ってくると、

「今柳沢が来るから、柳沢に詳しいことを聞くといいよ。悪いけど、僕今仕事がたまっているので、これで失礼するよ」と、ウエイトレスの持ってきたコーヒーを一気に飲み干すと、「じゃあ、また」と喫茶店を出て行った。それから2分もしないうちに、きちんとネクタイを締めた、まだ大学出てホヤホヤといった感じの若い男が喫茶店に入ってきて、客席を見回したあと、良子たちの席に近づいてき、「シャーリーさんと良子さん?」と流暢な英語で聞いた。

「はい、そうです」と良子が日本語で答えると、すぐに良子たちの向かいの席に座った。

「僕、柳沢です」と、良子とシャーリーに名刺を渡した。

英語で「写真を受け取った男について聞きたいと言うことですが、どんなことをお話すればいいのでしょうかね」と、悪びれる様子もなく言うので、シャーリーはカチンときたようだ。

「元々は私が持つ権利のあった写真なのだから、受取人の連絡先ぐらい聞いてもいいじゃありませんか。その男、私のことを何も聞かなかったんですか?」

「はあ、聞きませんでした。それに、シャーリーさんは写真を持ち主に返したいと言うご希望で、僕たちはそれに協力したわけで、写真を持ち主に返すことはできたのですから、ご希望がかなったわけではありませんか?」

柳沢の言うことも一理ある。

「それはそうですが、シャーリーとしては、あの写真に写っていた人がどんな人だったか興味があるので、その人から色々お話を伺いたいと思って、日本に来たわけです」

「そうですか」

「それで、写真を取りに来た人を是非探し出したいのですが、何か手がかりになるような物は、ありませんか?」

「そうですねえ。特に目立った特徴のある人ではなかったですからね。背だって特に高くもなく低くもなかったですよ」

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謎の写真(1)

川口良子は、友人のシャーリーの新築の家を訪れ、驚きの声をあげた。

まず、その大きさに、圧倒された。ベッドルームが5つ。ゆうに30人は入れそうな、大きな客室。トイレだって4つもある。しかし良子が一番興奮したのは、日本びいきの彼女が作った和室だった。畳の部屋に障子。床の間があり、床の間にはちゃんと椿の花が生けられ、山水画の掛け軸まである。部屋の隅には、まるで戦前のお金持ちの家から持って来たような古いけれども凝った細工がしてある水屋がある。鉄の輪が取っ手についており、戸も格子状になっている。今日本でも余り見れない凝った和室であった。新しい畳からイグサのにおいが漂ってきた。

「羨ましいわ。こんな素敵な家に住めるなんて」と、少し嫉妬の気持ちをこめて、良子は言った。良子は独身で、アパート暮らしである。シャーリーの夫は日本から工業用ロボットを輸入する会社の経営者で、夫の事業はしごく順調に行っているようである。

「一生に一度は、自分の気に入った家を建てたいと思っていたけれど、やっとその願いがかなったのよ。ここで、私の好きなお茶をたてることができるわ」と、シャーリーは良子の嫉妬に気がついたのか気がつかないのか、明るい声で、臆面もなく、嬉しそうに言った。シャーリーと良子は、茶道を通して知り合った仲だった。

家の中を全部案内したあと、シャーリーは、和室で良子にお茶をたててくれた。

良子がお茶を飲み終わると、シャーリーは思い出したように、

「そうそう。あなたに見せたいものがあるの」と言って立ち上がると、和室の片隅にある水屋の引き出しを開け、何やら取り出した。

「これ、見て」と、シャーリーが良子の目の前に置いたのは、古ぼけた写真だった。

良子は、誰の写真かととまどながらも手にとって見ると、写真の裏側に、「榮」と、書かれていた。サピア色の写真には、着物姿の若い女性が写っていた。ニッコリ笑った顔はおちょぼ口で、目元がすっきりし、鼻筋の通った、かなりの美人であった。日本髪をしているところを見ると、かなり古いものらしい。

「これ、だあれ?」と良子が聞くと、

「誰か分からないから、困っているのよ」と、シャーリー。

「この写真、誰かにもらったの?」

「そうじゃないのよ。あの水屋の引き出しの中に入っていたのよ」

「あの、水屋、どこで手に入れたの?」

「ハイストリートにあるアンティークのお店よ」

「じゃあ、そのお店で聞けば、水屋の元の持ち主が分かるんじゃない。明らかに、あの水屋の元の持ち主の物でしょうから」

「それが、聞いても、よく分からないのよ。まさか、粗大ごみの日に拾ってきたものではないでしょうけど」

良子は、シャーリーが粗大ごみの日なんて言葉を知っているので、思わず笑った。

「もしかしたら、そうかもしれないわよ。日本の粗大ごみって、中には新品と間違うような物も捨ててあることがあるから」と、良子はシャーリーをからかうように言った。

シャーリーは、良子の言葉を無視して、深刻な顔になって言った。

「この写真、随分古い物だと思うけれど、この写真の持ち主が生きていれば、持ち主に返してあげたいのよ。何か良い方法はないかしら」

「この写真の持ち主は、榮としか、書いてないから、苗字が分からないのね。それじゃあ、ちょっと難しいかもしれないわ」

「アンティークの店では、名古屋で手に入れたとだけ教えてくれたから、名古屋周辺を探せばいいんだと思うけれど」

「名古屋かあ。あっ!そうだ。新聞に広告出したらどう?」

「広告を出す?それって、私が広告代を払わなければいけないってこと?」

良子は、こんな大きな家の持ち主が、広告代をしぶるなんて、ちょっとおかしいと、笑えて来たが、シャーリーの気を悪くさせるのが嫌だったので、笑いをこらえて、シャーリーと同じように真顔になって言った。

「そう言えば、私の大学の同級生だった人で、今名古屋の新聞社に勤めている人がいるから、このこと記事にしてもらえないか、きいてみてあげようか?」

すると、シャーリーは目を輝かせて、

「そうすれば、持ち主、探し出せるわね」と、乗り気になった。

その晩、良子は早速大学時代の同級生の米川にメールを送った。

その返事は2日後に来た。

「デスクに話したら興味を持ってくれて、記事にしてもよいと言われた。もっと、詳しいことを説明してくれないかな。それに、その写真も送ってくれたら、その中の一枚を記事と一緒にのせたら、持ち主が現れる可能性が大きいと思うので、送ってください」

良子は早速そのことをシャーリーに電話して伝えると、

「すごい。このことが記事になるの?」と、シャーリーは大喜びして、写真を新聞社に送ってくれると約束してくれた。

シャーリーから写真を新聞社に送ったと連絡を受けて2週間後、良子は米川からメールを受け取った。

「川口さん、新聞記事ができたので、添付書類をみてください」とあったので、すぐに添付記事を読むと、「オーストラリアに渡った写真」と題して、次のように書かれていた。

「オーストラリアのメルボルン在住のシャーリー・ウイルキンソンさんが、去る3月5日にメルボルンのアンティークの店で水屋を買ったところ、水屋の引き出しから古い写真が出てきた。シャーリーさんは、この写真を是非持ち主に返したいと、当社に連絡してきた。写真には『榮』としか書かれていない。また、水屋は名古屋からオーストラリアに渡った物であることから、写真の持ち主は、名古屋あるいは名古屋近辺の在住者だと考えられる。写真を見て、心当たりのある方は、是非当社にご連絡願いたい」

記事と一緒にシャーリーの送った写真が載せられていた。良子が予想していたよりは、紙面を多く取った記事になっていた。

シャーリーにこのことを知らせると、シャーリーは大喜びで、

「どんな人が持ち主なのかしら?」と、期待でウキウキしている様子だった。

持ち主が現れるまで、どのくらいの時間がかかるのか良子は想像できなかった。もしかしたら無駄だったかもしれないが、今は待つのみだと良子は思った。そんな良子の予想に反して、思いのほか、早く持ち主が現れた。

米川から、記事が掲載されて3日後に連絡があったのだ。

「良子さん、持ち主が現れました。榮さんはすでに亡くなっていましたが、榮さんの孫だという前島豊という男性から、『榮は私の曾祖母です』と、連絡がありました。榮さんは前島栄さんと言って、2年前に87歳で亡くなられたそうです。来週写真を取りに来ると言う事で、写真を渡すことになりました」

良子がシャーリーに米川のメッセージを伝えると、シャーリーは、飛び上がらんばかりに喜んで、

「良かったわ。持ち主に返すことができて。私には何の意味もない写真だけれど、ひい孫さんにとっては、おばあさんの思い出の大事な写真でしょうからねえ。私、そのひい孫さんに会ってみたいわ」と、言い出した。

「じゃあ、米川君にその人の連絡先を教えてもらうね」と、シャーリーの意気込みに圧倒されながらも、良子自身もあの写真に写っていた榮がどんな人生を送ったのか、興味が湧いてきた。

米川に、前島豊の連絡先を聞くため、メールを送ったら、思わぬ返事が返ってきた。

「実は、連絡先は分かりません。本社に電話連絡があり、写真を取りに来たので、住所も、電話番号も、聞かないまま、写真を渡してしまいました。だから、連絡先が分からないのです。お役に立てなくて、すみません」

『そんな、無責任な!』と、良子は思ったが、米川を責めても、事態は解決しないことに気づき、米川を責めることはやめた。

ところが、シャーリに米川の返事を伝えると、カンカンになった。

「あれは、法的には私のものだったのよ。それをあげたんだから、お礼ぐらいされたってばちはあたらないと思うわ。新聞社だって、私の許可なくして、その人に渡すなんて無責任よ」

確かに彼女の言うことはもっともなので、良子は返す言葉もなかった。

「それに、私、その人に会いたいと思って、もう日本への航空券買ってしまったのよ」

「えっ!もう航空券も買ってしまったの?」

良子は自分が言い出したことがこんな結果になってしまって、申し訳なく思い、ついつい言ってしまった。

「じゃあ、私も日本に行って、その前島豊と言う人を探すの、手伝うわ」

「良子も行ってくれるんだったら助かるわ。私、日本語できないから、頼りにしているわ」

そういう訳で、良子は急遽、シャーリーと二人で日本に、前島豊探しの旅に出るはめに陥った。

著作権所有者:久保田満里子

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