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行方不明(9)


 「仕事は忙しいの?」
「ええ、まあ。でも日本人の観光客が減って来ていて、今まで週6日は仕事があったのに、最近は4日ぐらいになってしまいました」
「それはいけないわね。」
「ええ。日本から新婚旅行に来る人はたいていゴールドコーストとかケアンズにしか行かなくて、メルボルンまで来る人は少ないんですよ。メルボルンは日本からちょっと遠すぎるようですね」
「そうなの。でも、元気そうで何よりだわ」
お互いにトニーの話はできるだけ後回しにしようとしているのが感じられた。トニーの話をすると、悲しい思いにとらわれるのが分かっているからだ。でも今日の訪問の目的は、トニーがよく行っていた森があるのかどうか聞くことだったので、いつまでもトニーの話を避けている訳にはいかない。
紅茶を飲み終わって、カップを受け皿においたのを契機に聞いた。
「お母さん、実は最近トニーの夢をよく見るんです。トニーは夢の中ではいつも森の中にいるんですが、お母さん、トニーがよく行っていた森なんて知りませんか?」
「森?」姑は、けげんな顔をした。

 「あの子が行ったことがあるのは、ダンデノングの山くらいじゃないかしら。でも、あの子がうちを出た後は、私もしょっちゅう会っていた訳ではないから、どこか他の山に行ったかもしれないけど、分からないわ。あの子の友達に聞いた方がいいわよ」
メルボルンの郊外にあるダンデノングの山には静子もトニーに連れられて何回か行ったことがある。車で登ると、車道の傍らには高い細い木々の生い茂り、昼間でも薄暗い所だ。しかし、夢に出てくる森は、ダンデノングの山の森よりも大きいように思えた。
結局姑からはこれといった手掛かりになるような物は得られなかった。

 ジョンに聞いた方が手っ取り早いのかもしれない。しかし、ジョンからプロポーズらしき言葉を聞いてからは、気軽にこちらから電話して会うのはためらわれた。また、あの日をきっかけに、今まで頻繁にかかってきたジョンの電話は、かかってこなくなっていた。ジョンもバツが悪いのだろう。
その晩久しぶりに一人ぽっちの暇な時間ができたので、新聞の日曜版についてくる付録の雑誌をぱらぱらめくってみた。すると、一つの記事に目が引きつけられた。それは、トレーシー・ミルと呼ばれる女性の話だった。

 「私が25歳の時でした。道を歩いていると突然目の前に血だらけの男が倒れるのが見えたんです。一瞬のことでした。まるで夢みたいで、すぐにそのイメージは消えたので、不思議なことがあるものだと、自分で自分が不気味になりました。気が狂ったんじゃないかと。でも、その翌日に新聞を見てもっと驚きました。その幻覚の中で一瞬見た男の顔が新聞に載っていたからです。その男は前日の夕方7時頃、何者かに刺されて路上で死んでいたと言うのです。その記事を読んで、ぞっとしました。その男のイメージを見たのが、夕方の7時頃だったからです。そしてその翌日、またもや今度はシャワーを浴びている時に、あの男のイメージが浮かんだんです。それは、若者3人に取り囲まれているイメージでした。その若者の一人が腕にドイツのナチのマーク、あのお寺の印を逆にしたようなマークの入れ墨をしているのが見えたんです。そのイメージは、すぐに消えましたが、なかなか忘れることができませんでした。その事件の犯人はすぐに捕まるだろうと思っていたのですが、目撃者がいないためなかなか捕まらないと新聞で読んで知った時、警察に行こうかどうか迷いました。

 警察に行って、幻覚を見たなんて言うと馬鹿にされて、真面目にとってもらえないだろうということは分かっていましたから。それでも1週間経っても何の手掛かりもつかめていないと知って、思い切って警察に行きました。受付にいた警官に事件について話したいと言うと目撃者かと聞くので、一瞬見たイメージのことを話すと、案の定馬鹿にされました。それでも、事件の担当をしていた刑事に連絡してくれたのは、ラッキーでした。その刑事さんは、なかなか手掛かりがつかめないので焦りを感じていたようで、わらでもすがりたいと言う気持ちだったようです。幸いにも、一応私の話を聞いてくれたのです。その時は、実際に私の話を基に捜査をしてくれるのかどうか分かりませんでしたが、私は自分の義務を果たしたと、すっきりした気分になりました。それから2週間後、その刑事さんから連絡があり、私の話したように、入れ墨のある若者が犯人として検挙したと聞き、驚きました。それに、私が見た3人の若者に襲われたと言うイメージは、正しかったのです。それからも、しばしば色んな不思議な幻覚を見ます。以前は怖くて仕方がありませんでしたが、最近は慣れてきました。今では時々警察から依頼を受けて、事件解決の手掛かりを得るお手伝いをしています。もっともはっきりと犯行が行われたイメージが湧くわけではなく、断片的に見る幻覚を組み合わせて推測をするのです。科学的でないと言われれば、それまでですが、実際に私の得た幻覚のイメージから今までに数多く事件を解決しています」

 私の夢も、その人の幻覚と同じように、何か意味を持つ物だろうかと思うと、静子は急にこのトレーシー・ミルという人物に会いたくなった。思い立ったらすぐに行動に移したくなり、インターネットで検索すると、たくさんのトレーシー・ミルと言うウエブサイトが出てきた。その中から「霊能者トレシー・ミル」と言うのを見ると、まさに雑誌に載っていたのと同じ顔写真がそのサイトには載っていた。事情を説明して、会ってもらえないだろうかと電子メールを送った。







次回に続く.....

著作権所有者・久保田満里子

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行方不明(8)

 静子はその晩も夢を見た。トニーが静子を呼ぶ声がしたのだ。今度は月に照らされた森の中をトニーの声のする方に歩いて行くのだが、行けども行けども声から測られる距離は縮まらない。トニーに一歩でも近づくように、木々の間を、そのうち駆け出した。胸の動悸が高まり、息ができなくなるほど鼓動が早まった。その苦しさに一旦止まって、ぜーぜー荒い息を吐きながら、呼吸を整えようとしているうちに、トニーの声は聞こえなくなり、目が覚めた.汗をびっしょりかいていた。胸の動悸はおさまっていなかった。奇怪な夢だった。

 その日、昼から一緒に映画を見に行こうと誘いに来たジョンに奇妙な夢の話をしたら、深刻そうな顔をして、「こんなことを言いたくなかったけれど、1年も経っても音沙汰がないというのは、トニーはもうこの世の人ではないかもしれないね」とぽつんと言った。静子にもそういう予感が横切ったのだが、口に出していってしまうとそれが現実のものになりそうで、こわくて言えなかっただけだった。
「ジョンもそう思っていたのね。私も本当はそう思うのだけど、信じたくないの」とだけ言った。

 その日ジョンと見た映画はロマンチック・コメディーだったが、笑えなかった。いつもなら、映画の後一緒に食事をしながら、あの俳優は素敵だとか、物語が単純でつまらなかったとか、二人で映画の批評に話が弾むのだが、今日は食事の時二人ともほとんど言葉を交わさなかった。食事が終わって、ジョンはいつものように静子をうちまで送ってくれた。そして、帰りがけに言った。
「もうトニーは生きていないかもしれない。もしトニーが生きていないことが分かったら、僕との付き合いを深刻に考えてくれないかな」
「深刻に考えるって、どういう意味?」
「つまり、その」と言葉を切り、その後は思い切ったように「僕との結婚のことを考えてほしいんだ」と静子の目を射るような眼差しで見た。言ってはならないことを言ってしまったという後悔の念と、思いを告げた後のすっきりした気持ちとが入り混じったような目だった。そして、いとおしむように静子の顔を両手で引き寄せ、唇を押し付けた。

 ジョンが踝を返して去った後、静子はそのまましばらく家の前で佇んでいた。ジョンはトニーがいなくなった静子を慰めるために、うちにしばしば来ていたのだと疑わなかった静子は、少なからずジョンのキスにショックを受けた。静子はジョンをいい人だと思ったが、男として見たことは一度もなかった。しかし、好きだと言われて悪い気はしなかった。トニーがいたらジョンに心を傾けるということはなかっただろうが、トニーがいない今、ジョンはいつも助けを求めれば、すぐに来てくれる貴重な存在だった。ジョンの気持ちに答えたいと言う思いが湧いたが、それはトニーに対する裏切り行為だと思うと、静子はそんな思いを持つことに罪悪感を感じた。

 その晩も立て続けにトニーの夢を見た。今度の夢では、トニーの顔がはっきり見えた。悲しみをたたえた顔だった。そして、背中を向けたかと思うと足早に去っていくトニーは、夕べ見たのと同じように、森の中に消えていった。
トニーの行方さえはっきりすれば、ジョンに対してどういう態度をとるかはっきりするのに、このままではいつまでも中途半端な気持ちでいるだろうと思うと、静子は早くトニーの行方を突き止めなければいけないと思うようになっていった。それに、何度も見る森の中のトニーの夢は、何か意味があることなのであろうか。

 夢の中で出てくるトニーのいる森ってどこだろう。もしかしたら、姑に聞いてみれば、何か手掛かりを得られるかもしれないと思うといても立ってもいられなくなり、次の週末、静子は久しぶりに姑のいるリタイアメント・ビレッジに行くことにした。日曜日に行くからと姑にはあらかじめ電話しておいた。日曜日の昼過ぎ、いくつも同じ造りの小さな家が立ち並ぶビレッジの細い道を車でゆっくり入っていくと、姑がうちの玄関の側の花壇の手入れをしているのが見えた。車を止めると、姑も静子に気づき、泥のついた庭仕事用の手袋を外しながら、静子の側に来た。
姑は「久しぶりね」と言うと、静子を抱いて、頬にキスをした。
「はい、ご無沙汰しています」
「うちに入って」
「はい、お邪魔します」
居間のソファーに腰を落ち着けると、テーブルの上に、舅の写真と、トニーと静子の結婚式の写真が飾ってあるのが目に入った。台所でごそごそしていた姑がビスケットを載せた皿と紅茶を持って来た。




次回に続く.....

著作権所有者・久保田満里子


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