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ハンギングロックの謎:後藤の失踪(最終回)

メルボルンに帰る道のり、狩野は、後藤の所在を聡子や香川に伝えたものかどうか考えた。そして、結論を出した。黙っておこうと。後藤の所在を知ったところで聡子や香川に何の利益をもたらすわけではもない。かえって、怒りを増すだけだろう。人間一人がこの世の中で消えてしまうことは周囲の人に大変な痛手をもたらすことだ。それなのに、残された人たちの悲しみを無視できる後藤に狩野は怒りを感じた。

狩野が後藤に会って、半年の月日が流れた。山火事の被害を受けた人々もテント生活に終止符を打って、皆、家を建て直したり、他の土地に移って行ったりした。

狩野は、月日が経つに連れて、後藤に対する怒りも薄らいでいった。そんなある日、新聞の小さな記事に狩野の目が引き寄せられた。

「飲酒運転をした行方不明者

5年前、ハンギング・ロックで行方不明になっていた元メンジーズ大学準教授、後藤啓介氏が飲酒運転をして電信柱にぶつけ、足の骨などを折るなどして、エリザベス女王病院に運ばれた。生命には別状ない模様」

これを読んだとき、狩野は酒好きの後藤らしいことをしたものだと苦笑した。いつか、したたか飲んだ後藤が車の運転をして家に帰ろうとしたので諌めたら、「大丈夫、大丈夫。僕はいくら飲んでも酔わないんだから」と狩野の止めるのも聞かずに、そのまま車を運転して帰ったことがあった。その記事を読んだ後、病院に見舞いに行こうか行くまいか、随分迷った。しかし本当は迷う必要なんてなかった。大学に行くと待ち構えていたように香川が新聞片手に狩野の研究室に現われた。

「狩野さん。この記事読んだ?後藤さんは生きていたみたいよ」と言って、狩野に新聞記事を見せた。

何も知らない香川は本当に驚いていた。

「エリザベス病院に入院しているそうだから、クラスが終わったら、会いにいきましょ。そして、どうして今まで消えていたのか聞きましょうよ」

香川に引っ張られるように狩野は、病院に行った。

狩野が香川の後ろに隠れるようにして後藤の病室に入ると、足を包帯で巻いてつるされている後藤がベッドに横たわって、ぼんやりとテレビを見ているのが見えた。

後藤は香川と狩野の姿を認めると、いたずらっ子がいたずらの現場をとりおさえられたようなバツの悪そうな顔をした。

「後藤さん。やっぱり、後藤さんだったのね。行方が知れなくなって死んだのかと思って、随分心配したのに。今まで何していたの?」

香川は咳き込むように、聞いた。後藤がおもむろに口を開きかけたとき、病室のドアがノックもされずに乱暴に開けられた。ドアの向こうには、聡子がいた。聡子の後ろには聡子よりも背が頭分高い弘と祐一が立っていた。聡子は後藤の事故を心配して駆けつけたというよりは、旦那の浮気の現場を取り押さえたような、ものすごい顔つきをしていた。その聡子の剣幕に押された感じで、香川は慌てて後藤に別れを告げて、病室を出た。香川と狩野が病室を出るのと入れ替わりに、聡子達が病室に入って行った。

病院の長い廊下を歩きながら、香川は狩野に小声で言った。

「後藤さん、あの調子じゃ随分しぼられそうね」

「仕方ありませんわ。突然蒸発して無責任なことをしたんだから、聡子さんにしぼられるの、当たり前ですよ」

つっけんどんに言う狩野の様子を見て、香川はクスッと笑った。

「狩野さんは、やっぱり後藤さんが好きだったのね」

狩野は驚いて香川の顔を見た。

「私が?後藤さんを?まさか!」

怒ったように言ったが、香川と別れて自分の車に乗った狩野は心の中でつぶやいていた。

「私が後藤さんを好き?そうかもしれない。だから、キングレークの避難所で会った時、あれほど腹がたったのかもしれない」

後藤とミッシェルがどうなったのか、行方が知れた今、メルボルンに戻って来るつもりなのか、本当は聞きたいことがいっぱいあったはずなのに、素直に聞けなかったのは、自分とかけ離れた人生を歩み始めた後藤に対するわだかまりが捨てきれなかったからだと、狩野は初めて気づいた。

 

皆様、今回をもって「ハンギングロックの謎」を終了させていただきます。次回より「ヒーラー」を連載いたします。洋子の冒険物語です。お楽しみに!

著作権所有者:久保田満里子

 

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ハンギングロックの謎:後藤の失踪(25)

「ミッシェルさんは、いつケンさんと知り合ったの?」と、狩野が聞いた。

「私達、一緒に暮らし始めて、もう3年になるわよね」と後藤の顔を覗きこみながら、彼の同意を得るようにミッシェルは答えた。それを聞くと狩野の心に動揺が起こった。

「じゃあ、ご夫婦なの?」聞く声が少し震えていた。

「正式には結婚していないけれどね。内縁関係といえばいいのかな」

ミッシェルは笑いながら、あっけらかんとした表情で言った。

確かに後藤は独身だから結婚をするのも自由なのだが、狩野は何だかすっきりした気持ちになれなかった。これでは、後藤がキングレークを離れないのは、無理もない。ミッシェルに後藤の失踪を話したものかどうか、迷った。後藤はミッシェルに何も話していないように思われる。

「狩野さん、そういうわけだから、僕はメルボルンに戻る気は全くないんだ」

後藤はもう話を切り上げたいと思っているのか、そう言ってミッシェルの手をとって、立ち去ろうとした。

「ちょっと待って、後藤さん。まだ話は終わっていないわ」

狩野の声は、自分でも驚くほどに、剣を含んでいた。

狩野の剣幕にミッシェルのほうが驚いた顔をした。

「ケン。一体どういうことなの?」

不思議そうに後藤の顔を見ながら言った。

「この人は、ケンなんて名前じゃないわよ。後藤啓介って人なの」

狩野は、この際全てをぶちまけ、今までもっていた疑問を全部はっきりさせたいという衝動に襲われた。

「後藤啓介?」

「そう。メンジーズ大学で日本語を教えていた私の同僚だった人。後藤さんはハンギング・ロックに行って、行方不明になって5年も経つの。その間、後藤さんの知り合いの人はどんなに心配したか。私もてっきり彼が何者かによって殺害されたのだと思っていたわ。だから、彼は私に、どうして失踪したのか、失踪した後何をしていたのか、説明する義務があると思うわ。大体のことは聞いたけど、子供じゃあるまいし、日常生活がいやになったからって親の責任も投げ捨てて消えてしまうなんて最低だわ」

「え?ケンに子供がいるの?」

「聞いていなかった?二人息子がいるのよ」

「それは、知らなかったわ。私も今までケンがどこにいて何をしていた人なのか断片的にしか知らないので、この際、知っておきたいわ」

ミッシェルも狩野の味方をし始めた。

形勢が不利になったと後藤は観念したらしい。

「二人で一緒になって責められたんじゃ、かなわないなあ」とぼやきながら、

「まあ、じゃあ三人で飲みながら話すか。二人はともかく、僕は素面では話す気にはなれないよ」

と言うので、三人で広場を横切って行った大通りにあるパブに向かっていった。広場は多くのテントが立ち並び、テントから出てくる人、テントに入る人と、人の行き来でてんやわんやしていたが、三人ともそれぞれの思いに沈んでいるためか、黙って周りに目もくれないでパブに入った。パブの中はちょうど夕食前の時間に当たるためか、客は少なかった。丸いテーブルと固い木の椅子が4つほどある奥の片隅の席に陣取った。狩野とミッシェルが腰を下ろすと、すぐに後藤が「何を飲む?」と二人の顔を交互に見ながら聞いた。

「私はビール」

ミッシェルが即座に答えた。狩野はパブに来た経験がほとんどないので、何を注文すればいいか迷っていた。後藤は、狩野の好みを思い出したようで、

「確か、狩野さんは白ワインが好きだったよね。白ワインを注文するね」とバーメイドのいるカウンターに向かっていった。狩野は後藤がまだ自分のワインの好みを覚えてくれていたことに驚いた。

後藤がいなくなると、ミッシェルと狩野の間にきまずい空気が流れた。これと言って話すこともなく手持ち無沙汰であった。

後藤がお盆にビールをジョッキに二つ、白ワインの入ったグラスを載せて戻ってきたときには、二人ともほっとした顔をした。

後藤は二人に飲み物を渡し、座ったところで、狩野が口を切った。

「後藤さん、ハンギング・ロックで失踪したいきさつからもう一度、順序だてて話してくれない?」

一口ビールを飲み、ジョッキをテーブルに置くと、後藤の口の周りにビールの泡がついていたが、それに気づかないのか口を拭いもしないで、後藤が話し始めた。

「『ハンギング・ロックでのピクニック』の映画の影響かもしれないけれど、学生たちにあの失踪事件の解明を宿題に出した後、人間が失踪するって、どんな時だろうと考え始めていたんだ。そんな時、突然日本から電話があって、高校時代からの親友だった中島隆が交通事故で死んだと、奴の奥さんから聞かされたんだ。今まで僕の周りで死んだ人っていなかったから、ショックだったなあ。勿論うちの爺ちゃん婆ちゃんはとっくに亡くなっているけど、同居していた訳ではないから、そんなに衝撃は受けなかったんだ。奴はまだ38歳だったんだ。それを聞いて、僕も一度きりしかない人生を自分の思うように生きてみたいと思うようになったんだ。今までの僕の人生って、親のためとか妻のためとか子供のためとか、絶えず他人のためっていうのが優先してきたように思うんだ。自分だけのために生きてみたいって切実に思うようになったんだ。でもさ、自分だけのために生きるって言っても経済的にどうするかっていうことが一番問題となったんだ。そんな時、ゴーストライターとして頼まれてした仕事が成功して、一人くらいなら十分食べていけるような収入が入ったんだ。頼んできた先生も喜んでね。いろんな人を紹介してくれるようになって、経済的にはゴーストライターの仕事でやっていける自信がついたんだよ。だから、今までの人間関係を一切断ち切って、新しい人生を送りたいという思いが強くなっていったんだ。今まで持っていたものは息子たちにやって、新しい違った人生を送るのに一番手っ取り早い方法は、失踪することだと思ったんだ。勿論、単純に消えうせればいいんだけれど、ハンギング・ロックでいなくなったと思わせるほうが、皆を何となく説得させやすいように思ったんだ。それで、折りたたみ式の自転車を車のトランクに乗せてハンギング・ロックに行ってさ。車を残して自転車で近くの駅まで行って、そこからキングスレークに向かったという訳さ。残った車は売ってその代金を息子の養育費のたしにでもしてもらえればいいと思ったからね。キングレークに来たのはそのゴーストライターを依頼した先生の別荘があって、そこを使ってもいいって言われたからさ」

「じゃあ、ゴーストライターになるっていうのが、あなたのやりたいことだったの?そんなの変だわ」

「勿論ゴーストライターなんてただの生活費を得るための手段で、僕自身は自分で小説を書きたかったんだ」

「私、あなたは教師に向いている人だと思ったし、それに満足していたのだと思ったんだけど、」

「昔は教えることが楽しかったよ。でもさ、10年前の学生と違って、最近の学生は楽をしていい点取ろうとする奴が増えちゃってね。悪い点を取れば教師が悪いって、教師の責任にしちゃうしさ。それに、やれ助成金を取って来いだの金儲けをしろと雑用ばかりに振り回されるようになって、うんざりしたんだよ」

「確かに、そういう面では私もうんざりすることはあるけれど」狩野は小さい声で言った。

「でも、それだったら、どうしてちゃんと辞職しなかったの」

狩野は後藤の説明には、まだ納得しなかった。

「実はさ」と後藤はいたずらっ子のように目を輝かせて付け加えた。

「僕がハンギング・ロックでいなくなったら、皆どんな反応をするだろうかと、ちょっと興味もあったんだ」

「ええ!じゃあ、私たちはあなたのいたずら心に今まで振り回されていたって訳?冗談じゃないわ!」

狩野の声がひときわ大きくなった。

「いやあ。悪いと思っているよ。もう居所を知らせたほうがいいかなと、何度も思ったよ。でも、段々今出て行ったら、皆から顰蹙(ひんしゅく)をかうだろうなと思うと、出て行くチャンスを逃しちゃってね。そのうちミッシェルと会って、一緒に暮らすようになると、ますます今の生活の居心地がよくなったって訳だよ」

狩野は今までの後藤に対する心配は何だったのだろうかと思うと、ぽろぽろと悔し涙が出てきた。

後藤は狩野の涙を見て慌てて「ごめん」と言って深く頭を下げた。

そこでミッシェルが口をはさんだ。

「じゃあ、あなたの名前はケンじゃなくケースケって言うの?」

「いや、4年前にオーストラリア国籍を取ってね。その時ケースケからケンに名前を変えたんだ」

狩野は涙をぬぐうと、「私、もう帰ります」と立ち上がり、すたすたパブから出て行った。後藤が後を追いかけてくるかと思ったが、その気配はなかった。

狩野はすぐに自分の車に乗り込むと、大きく息をして、バックミラーで自分の顔を見た。涙で濡れてお化粧が台無しになっていた。その顔に向かって、「私って馬鹿みたい」とつぶやいていた。

著作権所有者:久保田満里子

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ハンギングロックの謎:後藤の失踪(24)

 狩野は後藤に聞きたくてたまらなかったことを口にした。

「ね、ハンギング・ロックで、何が起こったの?」

「何も起こらなかったよ」

「じゃあ、なぜ、あなたの車がハンギング・ロックの駐車場に乗り捨てられていたの?」

後藤は下を見て、足で砂を蹴りながら、答えた。

「それはね、行方をくらますために乗り捨てたんだ。折りたたみ式の自転車を車のトランクに積み込んでいってさ、夜人影がなくなった頃を見計らって、自転車に乗って、ハンギング・ロックの近くの駅まで行って、キングスレークまで来たんだ」

やっと、後藤は真相を話してくれる気になったらしい。

「どうして、そんなことをする必要があったの?」

「ねえ、狩野さん。時々日常生活から逃れたくなる衝動に駆られることってない?毎朝起きて朝ごはんを食べ、大学に行って、仕事をして、家に帰って寝る。そして、また朝が来て、きのうと同じ事の繰り返し。あの日の朝、日本にいる僕の親友だった男の奥さんから電話があってさ。僕の親友の中島が交通事故で亡くなった事を知らせられたんだ。中島の奴3人も子供がいてさ。健康には気をつけて、ジョギングをしたり、健康食を食べたりして、皆から長生きするといつもからかわれていたよ。そいつがあっけなく死んでしまったのを聞くと、人間いつ死ぬか分からないから自分のしたいことがあれば、すぐにやってしまわなくては、と思い始めたんだよ。そうすると、一体自分は何をやりたいのだろうと考えたら、思い浮かんだのが隠遁生活なんだ」

「でも、それだったら、皆に隠遁生活を宣言して、隠遁生活に入ればいいじゃない。何も突然姿をくらまして皆を心配させることないじゃない?」

怒ったように言う狩野の言葉に、後藤は苦笑いをして

「弘や祐一が納得してくれると思う?弘と祐一には父親に捨てられたという思いを持ってほしくなかったんだ」

「もう、捨てられたと思っているわよ。聡子さんは再婚しちゃうし、二人とも肩身の狭い思いをしているんじゃない?」

「そうか。聡子は再婚しちゃったのか」

「そりゃそうよ。あんなに美人なんだもの。すぐに再婚しなかったのがおかしいくらいだと私は思ったわ。ところで、隠遁生活をするにしても経済面はどうしていたの?皆あなたが殺されたと思ったのは、あなたが全然クレジットカードを使っていなかったからなんだけど」

後藤はここでにやりとした。

「実はさ、僕は隠れた才能があるんだよ」

「え?お金を作る才能があるっていうこと?そんなの信じられないわ」

「お金を作る才能はないけどね。実は僕の文才を認めてくれた人がいてね。日本で有名な学者なんだけど、名前は言えない。その人からその人の出版する本のゴーストライターを頼まれてね。その本の印税がかなり入ってきて、その分け前をもらっているんだ」

狩野はそんな話は初耳だった。

「後藤さんが文才があることは知っていたけれど、そんな仕事があるなんて知らなかったわ」

「うん。その人もゴーストライターを使っているなんていうのは人に知られたくないことだし、僕は僕で、自分の居所を誰にも知らせたくなかったので、お互いの利害が一致したってわけさ」

「そうだったの?で、今までキングレークに雲隠れしていたってわけ?」

「そうなんだ。その有名な学者さ、キングレークに別荘を持っていて、僕は管理人も兼ねて住んでいたってわけだよ」

「それで今度の火災にあったってわけね」

「そうなんだ」

「実は私もモニークに誘われて、あの森林火災が発生した日に、キングレークにきていたのよ。もう少しで私も犠牲者の一人になるところだったわ」

狩野は立ち上がると、後藤を立ち上がらせようと手を引っ張っりながら言った。

「ね、もう隠遁生活はやめてメルボルンに戻りましょ。弘君や祐一君はあなたの姿をみたらどんなに喜ぶか」

のろのろ立ち上がりながら後藤はそれでもすぐには「うん」とは言わなかった。

「今更のこのこ出て行って、隠遁生活をしていましたっていうのは、気がすすまないな」

「じゃあ、一生息子さんたちには会わないつもりだったの?」

「それは、」と言いかけたところに

「ハーイ」と言って、30代くらいの茶色い髪の女がニコニコしながら後藤達に近づいて来るのが見えた。

「ケン、この方、知り合い?」と後藤の側に立って、狩野を見た。

「うん。こちら狩野さん。狩野さん、こちらミッシェル」

戸惑いながらも後藤は、そのミッシェルなる人物を紹介してくれた。

ミッシェルは人懐こい性格のようで、

「はじめまして。ケンの知り合いに会うなんて、初めてだわ」と言った。

狩野はミッシェルが後藤の事をケンと呼ぶのが気になったが、ひとまず彼女が何者なのかをつきとめたいという好奇心に襲われた。

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ハンギングロック:後藤の失踪(23)

 行こうか行くまいかと狩野の心の中で二つの思いが葛藤していたが、避難所に行って、あれが本当に後藤だったのか確かめたいという気持ちが勝った。それにもしあれが後藤だったなら、どうして身を隠す必要があったのかも聞きたかった。幸いにも今日は最高気温25度の日で、雨が降らないとはいえ火事が広がる恐れはなさそうだった。

狩野は地図を調べて行き方を確認して、車のエンジンをかけた。

一週間前にモニークと行った道のりはさほど長いとは思わなかったのに、今日は長く感じられた。あの時はモニークとおしゃべりしながら、楽しい休暇を夢見ての道のりだった。今回は火事のあとの混乱した村に入るのは不謹慎なような気がしてためらわれた。しかし、どうしても後藤に会いたい、会って聞かなければならない。

目的の広場に着いた時は、消防車やパトカーが行き来しており、非常時の緊張感は抜け切れていなかった。山火事が完全に消えたわけではないので、風の向きや天候の変化によっていつまた火事に見舞われるか分からないのだ。人の行きかう商店街を見つめながら、狩野は人探しに一番いい方法は何か考えた。狩野は、緊急に立てられた食料センターに人が集まってくるのを見て、後藤を歩き回って探すより、食料センターの近くのベンチに座って待つほうが得策だと考え、後藤がそのセンターに現われるのを待つことにした。赤十字のしるしのついたテントではボランティアのおばさんたち4,5人がコーヒーや紅茶、サンドイッチやケーキを、テントを訪れる人に手渡している。狩野もコーヒーをもらって、道端の空いているベンチに腰掛けた。食料センターに来た子供連れの若い母親、見るからに力がありそうな太い腕っ節に刺青をしている中年の男、歩くのも苦しそうな太ったお年寄りの女性、どの人も疲れ果てた顔をしていた。いつ家に帰れるのか分からないし、また帰っても、もう家は跡形もなくなっているかもしれない。皆不安な気持ちを捨てきれないのだろう。ゆっくりコーヒーを飲みながら、そんな人たちの群れを痛ましい気持ちで眺めていた。2時間経った頃であろうか。ひげを生やした後藤が、テントのある広場から食料センターに向かってきている姿が目に入った時、狩野は思わずベンチから立ち上がった。それと同時に後藤がこちらに気づくと逃げられるかもしれないという不安が襲ってきた。後藤が十分こちらに近づくまでは、自分の姿を見られないほうがいいと即座に判断した狩野は、食料センターの隣にある雑貨屋に身を隠した。1,2,3と数を数えながら、50まで数えた時は、後藤がもうセンターの近くに来ているはずだと雑貨屋から頭だけを出すと、いましも食料センターに入ろうとしている後藤の姿が見えた。慌てて雑貨屋を出ると、後藤の背中に向かって小走りで近づいた。後藤はまだ狩野に気づいていないようだ。後藤の背中に触れるほど近づいたとき、狩野は後藤の肩をトントンと軽く叩いた。後藤は振り向くと、狩野の顔を見て、はっとしたようだ。まずい人物に会ったというふうに、慌てて狩野から逃れようとする後藤の腕を捕らえて、狩野は「後藤さん。どうして逃げるの?」と思わず大きな声で言っていた。周りにいたオーストラリア人のおじさんやおばさんの目がいっせいにこちらに向いた。勿論彼らには狩野の言った日本語の意味はわからなかったはずだが、狩野のきつい口調に、なにやら、訳がありそうだと感じたようだ。

「人が見ているわ。どこか静かなところに行って、話さない?」

後藤も周りの好奇心溢れる人の目が気になったようだ。黙って、うなずき、狩野に腕を引っ張られる格好で、食料センターを離れ、広場にはられたテントの間を通り抜けて、広場の端の木陰にある丸太の柵に腰かけた。

後藤から手を放した狩野は改めて後藤の顔を見た。

「やっぱり、後藤さんだったのね。テレビに映ったとき、後藤さんの顔を見て信じられなかったわ。皆もうあなたは死んでいるとばかり思っているし、私もそう思っていたわ。ずっと、キングレークに身を隠していたの?どうして?」

狩野は聞きたいことが多すぎて何から聞けばいいか分からず、矢継ぎ早に質問した。

後藤は、狩野の顔を避けて、広場のテントのほうを眺めていた。その横顔は固く、無言のままだった。

「後藤さん。言いたくないのかもしれないけれど、後藤さんから事情を聞くまでは、私、後藤さんの側を離れないからね」

それを聞くと、後藤はようやく狩野の顔を見た。

「どうしてほっといてくれないんだ?」

それを聞くと狩野はきっとなって、言った。

「私達、気の合う友達だったじゃない。少なくとも私はそう思っている。だから、あなたがいなくなって、あなたに一体何が起こったのかしら、殺されたのではないかしらと、眠れない日が続いたわ。こんなに心配した私に対して、そんな言い草はないでしょ」

「ごめん」

後藤はぽつんとそれだけ言うと、また目を広場に戻した。

著作権所有者:久保田満里子

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