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六度の隔たり(18)

食事も終わり、ジーナの友達の話が終わると、会話が切れた。そこで、夏美はおもむろに、ジェーンから来た封筒をジーナの目の前に差し出した。
「これ、ベンさんの居所を探してくれた人から来た手紙です」
そう言うと、ジーナは顔を紅潮させて
「もう、ベンの居所が分かったの?」と嬉しそうに、封筒の中身を取り出して、ジェーンの手紙を読み始めた。しかし、読んでいくうちに、見る見る顔が暗くなっていき、読み終わると、しばらく信じられないというように呆然としていた。
「ベンさんの居所が分かったのですが、こんな風になっているなんて、思いもしませんでした」と夏美が言うと、しばらくして、ジーナが答えた。
「本当に、人の人生って何が起こるか分からないわね。ベンがずうっとオーストラリアにいたなんて思いもしなかったし、ましてや彼が服役中なんて想像もしなかったわ」
「で、手紙を出してみますか?」言いにくそうに夏美は聞いた。
「あんたに預けていた手紙を出すのは、やめておくよ。これからどうするか、今晩考えてみるわ。でも、彼の居所を見つけてくれて、ありがとう」と夏美の手をとって言った。
それから間もなくして、夏美はジーナの家を後にした。ジーナはこのままベンとの楽しい思い出だけを胸にしまって、このままベンと会うこともないのではないかと思いながら、家に帰った。
家に帰ると、ギャリーとトムはマクドナルドから帰ったばかりのようだった。
「ママ、これ、買ってもらったよ」とトムは嬉しそうに、マクドナルドでギャリーに買ってもらったおもちゃを見せながら、ご機嫌だった。トムはマクドナルドが好きなのだが、夏美はトムを特別なときにしかマクドナルドに行くことを許さないので、よっぽど嬉しかったのだろう。
トムが寝た後、ギャリーは
「ジーナは、どうすると言っていた?」と夏美に聞いた。
「どうしていいか、分からないみたい」
「夏美がジーナの立場だったらどうする?」
「そうねえ。私だったらやっぱり会いに行くと思うわ。だって、一度は縁のあった人なのだから、その人の行く末って、気になると思うわ」
「僕のいう意味は、ジーナはベンと昔の仲を取り戻したいと思っているだろうかってことだよ」
「それは、無理じゃないかな。だって、二人の間には50年近くの空白の時間があるのだもの。二人とも変わっているに違いないわ。考えても御覧なさいよ。もし舅がまだ生きていたら、ジーナは昔の恋人に会いたいなんて思いもしないと思うわ。相手だって、同じだろうと思うわ。それに、奥さんを殺したとなると、そんなに簡単には罪意識から立ち直れないと思うし。あなたがベンの立場だったら、昔の恋人から会いたいっていわれて、ほいほいと嬉しい気分になれると思う?」
ギャリーは苦笑いをしながら、
「どうかなあ。僕は君が安楽死したいと言っても、手助けはしないと思うから、ベンの立場って言うのがよく分からないなあ」
「へえ、あなたは安楽死に反対なの?」
「そうだよ。神様からもらった一度だけの命だから大切にしなくっちゃ。そういう君は安楽死賛成みたいな口ぶりだね」
「そう、私は賛成だわ。うちの父は肺がんで亡くなったんだけど、死ぬ前の1ヶ月間は傍で見ているだけでつらかったわ。肺に痰がたまると命取りになるからって、痰がたまるたびに、口から管を差し込んで痰を取り出すんだけど、その時の苦しさは並大抵のものじゃないらしくって、もがき苦しんでいたわ」
そう言っているうちに夏美は父親の闘病生活を思い出して、目頭があつくなってきた。
「もう先がないと分かっていながら、あんな苦しみに耐えさせるなんて、残酷だわ」
「ふうん」ギャリーは夏美の涙を見て、自分の意見を主張し続けるのを差し控えた。
ギャリーとそんな会話を交わした翌日、夏美は新聞に安楽死に関する記事があるのに目が引き寄せられた。その記事によると、スイスで安楽死をさせる施設の運営は非営利団体がすることになっているが、どうやらその団体の会長は施設利用の患者から膨大な料金を取って私腹を肥やしていたようだと警察が捜査に乗り出したという記事だった。普通60万円が規定の料金なのに、ある人は1千万円以上もとられたというのだ。安楽死をさせて得をしようとする人がいるから、安楽死を合法化できないのだと、政府の高官のコメントが書かれていた。夏美はこの記事を読んで、死を間近にした人の周りに群がっているハイエナのイメージが頭に浮かび、いやな気持ちになった。
1週間たったが、ジーナから何も言ってこなかった。夏美もジーナだってどうするか考える時間が必要なのだからと思い、電話するのを差し控えた。
ジーナから連絡があったのは、1ヶ月後のことだった。
「夏美、今度の日曜日に一人でうちに来れない?」
「何かあったんですか?」
「うん、まあね。今度の日曜日に話したいことがあるんだけど、時間あるかしら?」
と言うので、次の日曜日、夏美はジーナの家に一人で行った。
「どうしたんですか?」と夏美が聞くと、ジーナは顔に慢心の笑みを浮かべて言った。
「来週ね、ベンと会うことになったの」
「えっ?ベンさんと連絡をとったんですか?」
「ええ。あなたが帰った後、色々考えたんだけど、やっぱり思い切って手紙を書いたのよ。私の正直な気持ちをね。ベンが奥さんを安楽死させた話を聞いて、ベンがどんなに苦しんでいるかと思うと、ベンが哀れに思えていてもたってもいられなくなったのよ。でも、直接面と向かって話す勇気もなくて、結局長い手紙を書いたの。返事が来るのは半々の確率だと思ったんだけど、いつまでも返事が来なかったので、やはり会いたくないのかと思い始めていたの。ところが、きのうベンから手紙を来たのよ。会いたいって」
「そうですか。それはよかったですね」
そう言いながらも、夏美は、ジーナがベンに深入りしてこれ以上傷つかなければいいがと心配になってきた。
「で、ベンさんは、お母さんのことをどう思っているのですか?」
「婚約破棄したことは今でも悪いと思っているって言われたわ。でも、私もベンもお互いに良い伴侶に恵まれたようで、それはそれで良かったのだと思うと言っていたわ。そして、奥さんを殺したことに対する罪意識と、奥さんを苦しみから解放させた安堵の気持ちが未だに混在していて、罪意識のほうが勝つたびに悪夢を見て、夜中に目が覚めるということだったわ」
「じゃあ、お母さんに対する未練は全然なかったってことですね」
夏美はジーナが余りにもベンとの仲を取り戻すことに期待しすぎている様子なので、ジーナの気持ちに歯止めをかける必要を感じて、冷酷だと思ったが敢えて口に出してみた。
ジーナは一瞬、夏美の言葉に冷水を浴びせられたような顔をしたが、静かに答えた。
「そういうことね。だけど、私のほうが一度会いたいという気持ちが、日に日に強くなってきたの。だから、会いに行くことにしたの」
「そうですか」
夏美は、これ以上ジーナに何を言っても無駄だと思い、ジーナが傷つかないように祈るような思いで、家に帰った。

著作権所有者:久保田満里子
 

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六度の隔たり(17)

 ジェーンは帰ってすぐにミアに電話した。ミアはジェーンの電話を待ちわびていたようで、ジェーンからの電話だと分かるとすぐに「どうだったの?」と急き込んで聞いた。しかしミアの耳に入ったジェーンの声は、きのうの興奮した声と打って変わって、沈んでいた。
「――と言うわけで、ベンは今オーストラリアの刑務所にいるそうよ。今から、この夏美と言う人に私から手紙を書くわ」とジェーンがいうのを聞いて、ミアは、「ベンは奥さんを本当に愛していたのね」とぽつんと最後に言った。
受話器を置いた後、ジェーンは、ベンはジーナのラブレターを受けとっても、返事を書くとは思えなかった。しかし、ジェーンが頼まれたことはベンを探して欲しいということだけだった。迷いに迷ったが、ジーナのラブレターは夏美に送り返そうと決心した。
翌日、ジェーンは机の前に座って、夏美にどう報告したらよいものか、頭を悩ませていた。
「夏美さま 
私はローラの甥の奥さん、ミアと友達で、ベンさんの居所を探すようにミアから頼まれたジェーンと言うものです。
ベンさんの居所がわかりましたので、お知らせします。ベンさんの連絡先は、次の通りです。
Pentridge
Station Rd.,
Muruwara,
Victoria 3090
ベンさんはオーストラリアにいますが、住所を見ても分かるとおり、今服役中だということです。奥さんを安楽死させたからです。
ベンさんがオーストラリアにいると分かった今、ジーナさんのベンさんへの手紙はジーナさんが直接渡されたほうがいいと思いますので、送り返します。
敬具
ジェーン・リチャードソン」
色々お悔やみまがいの言葉も書こうかと思い、書いたり消したりしたが、結局はこういう簡潔な手紙を書いて投函した。

オーストラリアで
夏美はいつものようにトムを学校の放課後預かり所に迎えに行って、トムを連れて家に帰った。家に入る前に、道路わきの「16」という家の番号を貼り付けた家の形をした木製の郵便箱を開けて郵便物を出し、家に持ち帰った。台所のテーブルの上にその郵便物を投げ出すと、普段着に着替え、その郵便物を調べた。タイプで打たれた請求書とか銀行の報告書とかビジネス関係の郵便物に混じって、手書きで夏美宛てにイギリスから来た手紙があった。差出人の名前を見ると、知らない人だった。
急いで開けると、ジェーン・リチャードソンからのベンの居所に関する報告とジーナのベン宛への手紙が入っていた。ベンがオーストラリアにいたなんて、灯台下暗しだ。このまま、ジェーンの手紙をもってジーナに報告しに行かなければいけない。ベンが見つかったら、浮き浮きしながらジーナに会いにいけると思っていたが、ジェーンの手紙を読んだ後は、心が重かった。まあ、ベンが死んでいたわけではないのだからと気を取り直して、夕食の支度に取り掛かった。ジーナは今は病気も治り、また以前のようにゴルフを楽しんでいる。
今晩はソーセージとマッシュポテトと野菜サラダにしようと、ソーセージを熱したフライパンに入れて、フォークで突き刺してぶちゅぶちゅ穴を開けると、その穴からタラタラと脂が流れ出てきた。ソーセージが焼き終わる頃には、フライパンの中は1センチの深さの脂の海の中にソーセージが泳いでいるといった風情になった。ソーセージがいかに脂肪の多い食べ物かと、健康に対する意識の高い夏美はソーセージを焼くたびにぞっとするのだが、ギャリーが好きなので、時折ソーセージを焼く。
夕食が終わり、トムがシャワーを浴びに行っている間、夏美はギャリーに、ジェーンから来た手紙を見せた。ギャリーはジェーンの手紙に目を通すと、
「人生、何があるか分からないなあ」と感慨深げに言った。
「ベンが、奥さんを安楽死させたなんて、ジーナが聞いたらどう思うかしら」
夏美はベンのことよりもジーナのことの方が心配だった。
「まあ、正直にジーナにこの手紙を見せる以外ないだろ?」
「そうね。明日会社の帰りにジーナの家に、この手紙を届けるわ」
「じゃあ、トムは僕が迎えに行くよ」
「ありがとう。お願いね。晩御飯はジーナの家にテイクアウトの中華料理でも持っていってすませるから、明日の晩はトムと一緒に晩御飯済ませてね」と言うと、夏美はギャリーの頬にキスした。
「じゃあ、久しぶりにトムを連れてマクドナルドにでも、行こうかな」とギャリーは独り言のようにつぶやいた。
その翌日、夏美は、会社からの帰り、駅の傍の中華料理屋でチャーハンと牛肉のいため焼きを買って、ジーナの家に行った。ジーナには行く事を事前に連絡はしなかった。電話をするとベンのことを報告しなければいけなくなるが、口で説明するより、ジェーンの手紙を見せたほうが手っ取り早いと思ったからだ。
ジーナは思ったとおり家にいて、テレビを見ていた。ドアを開けて、夏美だと分かると、笑みを浮かべて、
「まあ、週末でもないのに、家に来るなんて珍しいわね」と歓迎してくれた。
「はい、これ、一緒に食べようと思って、買ってきたわ」と、チャーハンと牛肉の入っているプラスチックの入れ物を出して渡した。
「まあ、嬉しい。人と一緒に晩御飯を食べるなんて久しぶりだわ」と言いながら、取り皿をテーブルの上に置いた。
夏美はご飯を食べ終わるまで、ジーナがベンのことを聞かないことを祈るような気持ちで、夕飯を一緒にした。幸いにもジーナは最近友達の身に起こったショッキングな事件を夏美に報告するのに忙しく、ベンのことは聞かなかった。
「私の友達のソーフィー、知っているでしょ?」
「ええ、お母さんのゴルフ仲間でしょ?」
「そう。ソーフィーの孫が可哀想に、この間ヘロイン中毒で死んでしまったそうだよ。まだ23歳の若さで。私はつい最近知ったことだけれど、その死んだ孫の妹はアル中で、17歳の時パーティーからの帰り道、車に轢かれて一命を取り留めたけれど脳に障害が残って、日常生活も支障をきたして、いつも付き添いが必要な状態だということだよ」
「まあ、不幸は重なって起こるという諺があるけれど、そんなことも本当にあるんですか。気の毒な話ですねえ」と夏美は同情した。
「ソーフィーから二人の孫が自己破滅的になった原因を聞いて、私は開いた口がふさがらなかったよ」
「原因があるんですか?」
「そう。二人ともカトリックの小学校に通っていたんだけれどね、よりによって二人ともその小学校の神父さんにレイプされていたんだよ」
「小学校に通っていた時って、それじゃあ、まだ子供じゃありませんか」
「そうなんだよ。レイプされたのが小学校1年生と2年生の時だったんだそうだから、普通の人間の常識では考えられないよ」
「その神父は、どうしているんです?」
「なんでも、罪を認めたけれど、5年前に死んでしまったそうだよ。その事件が判明したとき、学校側はそのことが外部に漏れることを恐れて、ソーフィーの娘夫婦に多額の金を払って口止めしたんだそうだよ」
「そんなこと、許されていいんですか」
「本当に、そうだよ。思春期になって、二人とも何度も自殺未遂をした挙句、一人の娘は麻薬中毒になって死に、もう一人の娘は障害者になるなんて、これほどむごいことはないよ」
「本当にそうですねえ」
「ソーフィーの娘、娘が死んで怒りを抑えきれずに、とうとうローマ法王にまで、弾劾の手紙を書いたそうだよ」
「そういえば、新聞でそんな事件があったって読んだような気がします」
「ローマ法王からは、神父たちのレイプの犠牲者になった人たちに対する全体的な謝罪はあったけれど、個人的な謝罪はされなかったと、まだ怒りに燃えているということだけど、無理もないわよね、自分の娘達の人生がそんな風に狂わされたんだもの」
とジーナは憤懣やるかたないといった風だった。

著作権所有者:久保田満里子

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六度の隔たり(16)

~~ジェーンはその晩すぐにミアに経過報告をするために電話した。
ミアはキングスリンでの新しい生活に慣れるために忙殺されているらしく、ジェーンが
「やっとベンの居所を知っている人をみつけたわよ」と言っても
「ベン?ベンって誰?」と聞きかえすので、ジェーンはがっかりした。
「あなたに探してって頼まれた人よ」と言うと、
「ああ、あのベン」と、やっと思い出したようだ。
しかしベンがオーストラリアの刑務所に入っていると言うと、驚いて
「どうして?」と聞いてきた。
「詳しいことは、明日聞くことになっているから、また明日報告するわ」
「じゃあ、明日電話待ってるわ」
ジェーンはミアに報告することによって、少し頭を冷やすことができたが、それでもどうしてベンが殺人の罪を犯したのかと色々想像すると、目がさえて眠れなかった。
翌日は、夫のデイビッドに子供の世話は任せて、午後2時に約束通りショーンの家に行った。ショーンの家は一戸建ての平屋で、小さな前庭があった。通された客間は花模様の赤いカーペットが敷かれ、飾り棚やテーブルは、家族の写真や陶器の飾り物で溢れていた。昨日見かけなかったショーンの妻のグレースが紅茶とビスケットを出してくれた。
「ところで、きのう聞かなかったけど、どうしてベンの居所を知りたいんだ?」とショーンが聞いた。そういえば、昨日はクリスにはこちらの事情を話したが、ショーンにはまだ事情を説明していなかったことに気づいた。
「ジーナさんてご存知ですか?」
「ジーナ?ああ、ベンの婚約者だった子だね。ジーナを知っているの?」
「いえ、知らないんですが、ジーナさんの知り合いから、ベンさんの居所を見つけてジーナさんの手紙を渡して欲しいと頼まれたものですから」
「ジーナなんて懐かしいなあ。ジーナは今何しているの?」
「オーストラリアのメルボルンに住んでいるそうですよ。結婚して息子さんがいたけれど、ご主人にも息子さんにも先立たれて一人暮らしをしているそうです」
「そうか。ベンもジーナもオーストラリアにいたのかあ」とショーンは感慨深げに言った。
「ところで、ベンさんがどうしてオーストラリアに住むようになったか、そしてどうして殺人を犯してしまったのか、いきさつを話して頂けませんか?」
「ベンと俺が世界旅行にいったって言うのは、知っているだろ?」
「ええ」
「二人でジープを買って、ドーバー海峡をフェリーで渡って、ヨーロッパからトルコ、アフガニスタン、インド、パキスタン、ネパールと一年かけて旅行した後、インドの闇市でジープを売って、飛行機でイギリスに戻ってきたんだ。その道中で同じようにジープでボーイフレンドと一緒に旅行をしていたニーナというオーストラリア人の女性と会ったんだ。イギリスに戻ってきた後もベンはニーナと文通していたようだけど、ある日ニーナがボーイフレンドと別れた後ベンを訪ねてきたんだ。それで、ベンはニーナに誘われてオーストラリアに行っちゃったんだ。結局二人はオーストラリアで結婚してね。僕にも結婚式に出てくれと言うので、僕もその時オーストラリアに行ったんだ。二人の間に男の子と女の子が生まれて、仲良く暮らしていたんだけどね。あれは、3年前だったかなあ。ニーナが胃癌を宣告されてね。医者に行った時はもう末期癌なので手の施しようがないと医者にさじを投げられたそうなんだ。ニーナは病院で死にたくないというので、家でベンがニーナの看護をしていたんだ。医者から痛み止めをもらってニーナは飲んでいたらしいけれど、最初はその薬で痛みが治まっていたんだけれど段々その痛み止めが効かなくなって、ニーナがのた打ち回って苦しむようになったんだそうだ。それを傍らで見ていられなくなって、ある日ニーナの『殺して頂戴』という哀願にとうとう負けて、ニーナを殺してしまったんだ」
「それじゃあ、ベンさんは奥さんを安楽死させたという訳ですね」
「うん。そうなんだ。奴が刑務所から手紙をよこした時、信じられなかったよ。あいつに人が殺せるなんて」
ジェーンは、ベンが苦しんでいる妻のベッドの傍らに立って妻を殺す決意をする様子を想像すると、すさまじいものを感じた。
「で、どんなふうに奥さんを殺したんですか?」
「オーストラリアには安楽死を支持する会っていうのがあって、その先頭に立って安楽死の合法化を推進しているニツシュキと言う医者がいるんだそうだが、その医者に連絡を取って、安らかに死ねるという薬の調合をもらって、それを使ったんだそうだよ。だから奥さんの死に顔は安らかだった。これで、妻も安らかに眠れると言っていたよ」
ジェーンは夕べ見たニュースを思い出した。段々体の筋肉が使えなくなって死んでいく多発性硬化症にかかった女性が、もうこれ以上耐えられないという限界を感じる時が来たら、安楽死が許されているスイスに行って、安楽死をしたいが、スイスに行くためには夫の手助けがいる。自分が死んだ後、夫が殺人幇助罪で訴えられることがないようにして欲しいとキャンペーンを始めたニュースだった。オーストラリアもイギリスと同じように安楽死は合法化されていないようだ。
「それじゃあ、ベンさんに手紙を送るにはどうしたらいいのでしょう?」
「ここに、刑務所の住所を書いておきましたよ」と住所を書いた紙切れを渡してくれた。
もう聞くことはないように思えた。今日聞いたことをミアに電話で報告し、夏美にメールを書くことにしようと思いながら、ジェーンはショーンの家を辞した。ベンの居所が判ったからと言って、すっきりした気持ちになれなかった。ベンがもう死んでいたというほうが一層すっきりするだろう。安楽死をさせるほど、ベンは奥さんを愛していたに違いない。これも予想にしか過ぎないが、こう思わないと救いようがないように思えた。

参考文献:インターネットサイト:Euthanasia in Australia

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六度の隔たり(15)

~~クリスの車はポンコツに近いような車だったが、がたがた音をさせながらも、動いた。ヨークの街を出ると、まっすぐな2車線の車道が走っており、10分も走ると回りは建物が消え、田園風景が広がった。今は冬なので緑はなかったが、夏になると推水仙の花が咲き誇る美しい所だった。ショーンのガソリンスタンドは、20分走ったところのマンチェスターに続く道路のわきにあった。スタンドには車が一台も止まっていなかった。スタンドの事務所の脇に車をつけて降りると、事務所の中から70歳近い男が出てきた。
「これはこれはクリス。今日は美人とデートかい?」とにやにやしながら近づいたその男はショーンに違いなかった。
「ショーン、こちらはジェーンさん。ベン・マッケンジーの居所を探しているということなんだが、お前なら知っているだろうと思ってご案内したんだよ」
「それは、ようこそ」とショーンが手を差し出した。ジェーンはショーンの油で汚れた手が気になったが、仕方なくショーンの手をとって握手をした。
「今、暇なんだろ?ちょっと、ジェーンにベンのことを話してやってくれよ」
「まあ、中に入ってください。お茶くらいいれますよ」と、ショーンは二人を事務所に誘った。事務所の中は雑然としていて、週刊誌や新聞がテーブルの上に転がっていた。
「ベンさんとは、今でもつきあっていらっしゃるのですか?」
ジェーンは一番気になることを聞いた。
「つきあっているというか、手紙をもらったのは2年前で、それからのことは分からないけれど」
「じゃあ、今どこにいるのかは、分からないのですか?」
「いや、2年前と同じ所にいるはずだよ」
紅茶をなみなみと注いだマグカップをジェーンの前におきながら、ショーンは言った。
「ベンさんは、今もヨークにいらっしゃるんですか?」
もし、ベンがまだヨークにいるのなら、ベン宛の手紙を会って手渡せると、ジェーンは心の中で思った。
「いや、オーストラリアにいるよ」
「えっ!オーストラリアですって?ジーナさんもオーストラリアにいるんですよ」
ジーナもベンもオーストラリアにいるなんて、なんて奇遇なのだろうと、ジェーンは驚いてしまった。
「そのオーストラリアの住所、分かります?」
ジェーンは身を乗り出して聞いた。
「ベンから来た手紙を見れば分かるけど、手紙はうちにあるんだ」
ショーンがそう言った時、外でがたがた音がした。どうやらお客が来たようだ。
「ちょっと、失礼」と言って、ショーンはお客の車にガソリンを入れるために出て行った。
「ベンの居所がわかってよかったね。これであなたを案内してきたかいがありましたよ」」とクリスが言うので、ジェーンも、
「本当に、こんなにすぐにベンさんの居所が分かるなんて、クリスさんのおかげです。ありがとうございます」と感謝した。
外で車のエンジンがかかった音がすると、ショーンが戻ってきた。
「今、ベンさんは何をされているのか、ご存知ですか?」好奇心からジェーンはきいた。
「刑務所にいるよ」
「えっ?刑務所。一体どうして?」
ベンが刑務所にいるなんて意外だった。ジェーンは昔の恋人からまた会いたいと情熱を持たれるベンはとても魅力的ないい人だろうというイメージを自分で勝手に作り上げていたことに気づいた。
「殺人罪で刑務所にいれられたんだ」
今までもっていたイメージからすると、詐欺罪くらいなら分かる。しかし、殺人罪なんて、最悪ではないか。
「一体、誰を殺したんですか?まさか強盗なんてことをしたんじゃないんでしょうね」
ショーンはジェーンの言葉に笑いながら答えた。
「強盗なんて、奴がするわけないだろ。まあ、話せば長くなるからやめておくけど」
ジェーンはじれったい気持ちで言った。
「もっとベンさんのことを詳しく話してもらえませんか。ベンさんがあなたと世界旅行に行ったところまでは、聞いているのですが、世界旅行から帰って、ベンさんは何をしていたのか話してもらえませんか?」
「そんなことを話していると少なくとも1,2時間はかかるなあ。明日は週末でガソリンスタンドも休むから、明日うちにおいでよ」
ジェーンは本当はすぐに聞きたいところだが、また客が来たのを見て、それ以上押すのはためらわれた。そこで、仕方なく、ショーンの家の住所を聞いて翌日ショーンの家を訪ねる約束をして、その日はうちに帰った。

著作権所有者:久保田満里子
 

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