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百済(くだら)の王子(6)

 セーラが目を覚ますと、体に接している土が冷たくて固い。のろのろ体を起こすと、体の節々が痛んだ。そして、セーラはきのうの出来事を思い出した。今日は、あの額田王とかいう女に会えるはずだ。どういえば、自分の状況を納得してもらえるだろうかと、考えた。ここで、寝るところと食べる物を確保しなければいけない。そしてここは一体どこで、いつの時代かを調べて、2015年に戻る手立てを考えなければという決心を固めた。そのためには従順にふるまうことだと、自分に言い聞かせた。
戸が開いて、きのう握り飯を持ってきた男がまた顔を覗かせた。
「額田王がお会いしたいそうだ。来い」とセーラの右腕を引っ張りあげた。引きずり出されるような感じで小屋を出ると、暗いところから急に明るいところに出されたので、太陽の光がまぶしく思わず顔をしかめた。小屋から大きな池のある庭を横切って、連れて行かれたところは、田舎の縁側のある家のようなところだった。ふすまの替わりに板戸があり、その開き放たれた部屋の中を見ると板敷きになっていて、鹿の皮を敷いたところに、夕べ見た女が座っていた。部屋の外の縁側のところには、きのうセーラと言葉を交わした男が座っていた。男はセーラが庭の土の上に座ったのを見て、
「今から、額田王様がお前に色々聞きたいことがあるそうだ。素直にお答えしろ」と、威嚇するように、言った。
すると、額田王が鈴のなるような声で、聞いた。
「そなたは、どこのものか?髪の毛は茶色だし、倭の国の者とは思えぬが…」
セーラは別に隠すことはないと思い、正直に答えた。もっとも、この額田王と呼ばれる女が理解するかどうかは別問題だが。
「オーストラリアです」
「オーストラリア?聞かぬ名じゃな。それはどこにある?」
「それは、日本のずうっと南にあります」
「日本?」
あ、この頃は、日本と呼ばれていなかったのかとセーラは思い直した。今さっき額田王は倭の国とかなんとか言っていた。
「倭の国のことです」
本当は、敬語を使うべきなのだろうが、セーラは敬語が苦手で、セーラにとって一番丁寧な言葉は、いわゆる丁寧語である。
「南にそんな国があるとは、知らなんだ。そこには、皆お前のように茶色の髪をした者たちが住んでいるのか?」
この質問にはセーラは困った。
「そうですね。私のような人もいれば、黒い髪をした人もいるし、顔の色も白い人、黄色い人、黒い人と、色々です」
「黒い顔の者?」
「そうです。もともとオーストラリアに住んでいたのは、黒い顔の人達で、私のような白い顔の人間が、18世紀にその人達を征服して、国を作ったのです」
「18世紀とは、何のことじゃ」
しまった。18世紀なんて西暦は、この頃日本では使われていなかったんだろうと、初めて気づいた。額田王に納得してもらうように話すのは、そう簡単なことではないことにセーラは気づいた。
「昔のことです」
本当は、この額田王の時代から見れば将来に起こったことなのだが、そんなことは到底この人には理解できないだろうと、「昔」という言葉でごまかすことにした。
「どうやって、この国に来たのじゃ?いや、それよりもどうしてこの国に来たのじゃ?」
「どうして来たかと言いますと、倭の国が美しい国だと聞いたので、見に来たんです。どうやってここに来たかと言うと、私にもよく分からないのです。ずっと歩いているといつの間にか、この国に来ていたのです」
「歩いて来た?」
正確には飛行機なのだが、飛行機なんて言い出したら、それこそ飛行機の説明をするだけで日が暮れてしまうだろう。だから歩いて来たと言ったのだが、額田王は不審に思ったようだ。
「お前の国では、皆お前が今着ているような衣装を身につけるのか?」
「皆ではありません。私はジーパンをはいていますが、スカートをはくこともあります」
「スカートと言うのは?」
「布と針と糸を貸してもらえれば作ってあげますよ」
裁縫は余り得意でないし、ミシンもないけれど、この額田王はスカートを見たこともないのだから、スカートもどき物ができれば十分であろうとセーラは思い、額田王の機嫌をそこねないように用心深く答えた。
「さようか。ところで、おまえの持っていたものを見たが、奇妙な物がたくさんあるが、何かを説明してみよ」と額田王は言うと、控えていた家来にセーラのリュックサックを持ってこさせた。
家来がセーラの前でリュックサックをひっくり返しすと、中身がどさっと出てきた。家来はまずスマートフォンを取り上げて、セーラの目の前にぶら下げて、
「これは、何だ?」と聞いた。
スマートフォンをどのように説明したらよいものか、少し考えてから、
「これは、機械ですが、どのように使うのか、おみせしましょうか?」と言うと、
「この機械を返したとたん、何か悪さをすることを考えているのではなかろうな」と家来は大きな目をぎょろりとさせ、セーラを疑いの目で見た。
「そんなこと、しませんよ」とふてくされたようにセーラが言うのを聞いて、家来はスマートフォンをセーラに返してくれた。しかし、返してもらっても、ネットワークにつながっていないので、できることは限られている。また電池でも切れたら、それこそ無用の長物だ。電池が切れていないことを祈るように、電池の残り具合を調べるとまだ90%残っていた。
スマートフォンを額田王に向けてあげると、家来はセーラが額田王に害を与えようとしていると誤解して、「これ、何をする!」とスマートフォンを取り上げようとするので、取り上げられる前に、写真のシャッターを切った。そして得意げに、額田王に向かってスマートフォンを見せた。
「これ、見てください。額田王が写っていますよ」
額田王が笑顔に変わるのを期待していたセーラは、写真を見たとたん額田王の血相が変わったのには、びっくり仰天した。その後、額田が「お前は、私の魂を奪うつもりか!」と叫ぶと、「この者を始末せよ」と言ってさっさと奥の部屋に消えそうになるのを、セーラは必死で呼び止めた。

著作権所有者:久保田満里子
 

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百済の王子(5)

セーラが連れて行かれたところは、大きなわらぶき屋根の家だった。家の周りは土塀で囲まれ、門のところには二人見張りが立っていた。女はどうやら身分が高い人らしいとセーラはにらんだ。セーラが連れていかれたところは、馬小屋の隣にある、部屋だった。部屋とはいっても、床はなく、つちである。屋根はあるものの、屋根の下は隙間があり、外にいるのとたいして変わらない。ただ逃げようとすると、ドアがあるので、容易には逃げられない。リュックサックも取り上げられ、縛り上げられたまま、その部屋に放り入れられてた。男達が去り、一人にされると、セーラは自分の身に一体何が起こったのかを考えてみた。
タイムスリップしたとしても、一体いつの時代にタイムスリップしたのかさえ分からない。あの連中は日本人には違いない。女が羽衣のようなものを着ていたところを見ると、江戸時代ではなさそうだ。セーラの日本の歴史に関する知識はたかがしれていた。だからすべての知識を動員しても分からない。ただ天武天皇も知らなかったようだから、天武天皇の前の時代に違いない。そんなことを考えていると、おなかがすいたことを思い出した。昼チョコレートのかけらを食べたきり、昼ごはんも食べていない。何時ごろだろうと腕時計を見ようにも後ろでに縛られているので、見ることもできない。段々あたりは薄暗くなってきているところからみると、夕方だろう。日本の今の季節の日暮れって何時ごろだろうか。たぶん5時ごろだろう、そう見当をつけた。周りが暗くなると心細さが増してくる。このままここに閉じ込められて、餓死するのかしらと思うと、情けなくなってきた。ママはどうしているかしら?パパは?と家族のことが恋しくなる。「トム、助けに来てよ」と心の中で叫ぶと、涙が出てきて、頬をぬらした。その晩は誰も小屋に近づくものはなく、馬の鳴き声がときおり聞こえるくらいで、シーンとしていた。皆私のことを忘れたのかしらと半ば諦めていた頃、戸がいきなり開いて、あの女の家来の一人が、何やら手に握り飯のような物を持って入ってきた。「手が使えないと飯もくえないだろう」と言って、やっと縄を解いてくれた。
「ほら、食べろ」と出された握り飯をセーラは素早く奪い取って、口に頬張った。空腹だったので、マナーなんて考えてはいられなかった。玄米でできた固い握り飯だった。口にほうばると、口の横からぽろぽろと、ご飯が落ちる。それも構わず、一気に食べると、やっと落ち着いた。セーラが食べ終わるのを見て、あの女の家来が言った。
「明日の朝、額田王(ぬかだのおおきみ)様がお前に色々お聞きになりたいことがあるそうだ」
「額田王って、あの女の人のこと?」とセーラが聞くと、
「そうだ。美しい方じゃろう」
「ふうん。そういう名前の人なの」
セーラには額田王と言われても、誰のことか分からなかった。それに美人かどうかも良く分からなかった。卵のようなうりざね顔に下膨れしたような頬、そして色は白く目はほっそりしていて、口はおちょぼ口。セーラの思う美人とは程遠かったが、肌のきれいな人だったことは確かだった。
男は、「逃げるなんて事を、考えるなよ。そんなことをしたら、すぐに殺すからな」と恐ろしいことを言って、出て行った。
  セーラも逃げることなんて考えていない。だって、どこにどう逃げろというのだろう。男のくれた握り飯で空腹の虫はおさまったが、固いご飯だったので、何度もかまなければいけなかった。そう言えば昔の人は食べ物が固くてよくかまなければいけなかったので、あごが発達していたと聞いたことがある。今日出会った連中を思い浮かべてもあごの細い者はいなかったように思う。こんなことを考える余裕ができたのは、少し空腹を満たしたからだろう。夜になると段々冷え込んできて、肌寒く、腕をさすって、少しでも体をあたためようと、胎児のように体を丸めて寝転がっていると、疲れがでたのか、セーラは少しうつらうつらしたようだった。次に目を覚ましたときは、朝の光が屋根の隙間から差し込んでいた。

 

著作権所有者:久保田満里子
 

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百済の王子(4)

~~セーラも近くに寄ってみて、その人々が異様な姿をしているのに、気づいた。先頭にいる女性は長い髪を後ろに束ね、高松塚古墳で見た壁画の女性と同じような衣服を身につけているのだ。セーラは一瞬ぎょっとして立ち止まったが、今日、きっと仮装するイベントでもあったのだろうと思い直し、また近づいて行った。セーラがその集団の先頭の女性と1メートルの間隔しかないところまで来ると、その女性の後ろにいた男がその女性を守るように前に出てきて、「何者だ!」と声をはりあげ、セーラを牽制した。
その男の格好も異様だった。上半身は裃の上着を着て、膝上までのズボンをはいているのだ。ズボンと言うより、ニッカーボッカといったほうがいいかもしれない。髪の方も変わっていた。まるで、侍のような髪型をしているのだ。その男がセーラに向かって、
「何者だ!それ以上近づくな!」と血相を変えて叫んだ。
セーラは思い切り走ったために息が苦しく、すぐには声は出なかったが、呼吸を整えて言った。
「私、道を迷ったんです。天武天皇陵は、どこですか?」
その男は、セーラの言っていることが理解できないようだった。
「天武天皇?それは何者だ?」
「何者って聞かれても私もよく分からないけれど。じゃあ、この地図見て、私がどこにいるか教えてくれませんか?」とセーラは手に持っていた地図をその男に見せた。その男は紙自体を珍しいものを見るように、手にとった。後ろにいる女性も好奇心に満ちた顔でセーラを見ている。何でこんなものが珍しいのだろうと、セーラのほうも不思議に思った。
「今日、何かのイベントがあるんですか?それで、そんな格好をしているんですか?」セーラは無邪気に聞いてみた。すると、その男は
「イベント?なんのことだ?」と、言葉が通じない。
「そなたは、どうしてそんな格好をしている?」今度は男のほうがセーラに聞く。
「そなたなんて、時代物の言葉遣いをするなんて、随分こっていますね」と、クスクスと笑った。
すると、後ろにいた女性が言った。
「おもしろそうなおなごじゃ。屋敷に連れて参って、問いただしてみよう。お前たち、この者をとらえよ」と言うと、側にいた3人の男がみんなセーラを取り囲んで、セーラのリュックサックを奪い取ると、後ろ手にして、縄でしばりあげた。
「What are you doing?(何してるの?)」セーラは余りにも驚いたせいか、とっさに英語が口をついて出た。
「何をおかしなことを言っているのじゃ」と、ますます男たちはセーラを怪しみ、セーラをひったてる力が乱暴になった。その時、初めてセーラは自分がとんでもないところに紛れ込んでしまったのに気づいた。
「もしかしたら、これ、昔の日本にタイムスリップしたのかしら?」
それからセーラの抗議もむなしく、セーラはその女の屋敷に引っ立てられて行った。

著作権所有者:久保田満里子
 

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百済の王子(3)

 セーラが翌朝、テレビで天気予報を見ると、晴天で気温も18度となっていた。4月にしては暖かい日だ。朝、観光案内所に飛鳥への行き方を聞くと、近鉄電車に乗らなければいけないと言われ、きのう歩いた商店街に戻り、近鉄駅から電車に乗った。飛鳥にたどり着くには2度も電車を乗りかえらなければいけなかったが、何とか飛鳥駅に着くことができた。奈良は観光客でにぎわっていたので、飛鳥にもたくさん人がいると思ったが、駅で降りた人の姿はまばらで、閑散としていた。駅前の案内所で地図をもらって、最初に高松塚古墳に向かった。朝肌寒かった空気も、10時ごろになると、日の光が、背中を暖かく照らし、体がぽかぽかして来て、春用の薄手のコートをまず脱いだ。ちらほら熟年のカップルや、大学生風の女性三人組を見かけた程度で、他には人は見えなかった。広い野原には春の花が咲き、桜もちらほら見られた。なだらかな丘をゆっくり登りながら、標識を頼りにたどり着いたところは、小さな博物館風の建物だった。入り口で入場料を払い中に入ると、若いカップルが一組いたきりだった。20人ばかり人が入ると一杯になりそうな小さな部屋だった。そこには、古墳に書かれていた壁画を再現したものが、部屋の壁一面に書かれていた。まるで天女のような格好をした女性が何人かと男性数人が書かれていた。お棺のあった部屋に描かれていたと言う動物も再現されていた。その4匹の架空の動物、朱雀、白虎、玄武(亀に蛇が巻きついたもの)、青龍を見て、セーラは韓国ドラマ好きの母親が見ていたヨン様が神様を演じるドラマ「大王四神記」を思い出した。その中で南は朱雀、西は白虎、東は青龍、北は玄武が守護神として出てきたのを思い出して、昔の日本と韓国は似た文化を持っているんだなと思った。少しでも自分の知っていることに出会うと嬉しい気持ちになるものだ。そこの管理人のような中年の男が若いカップルに古墳から貴重品が泥棒に盗まれたことを説明しているのが、自然と耳に入ってきた。セーラは、横槍から質問をするのもどうかなと思ったが、好奇心が勝って、思わず聞いた。「どうして泥棒は北から入るのですか」。管理人の男は、セーラが日本語を流暢に話すのに驚いた様子で、「日本語が分かるんですか?」と言い、その後セーラの質問に答えてくれた。「お棺のある部屋は最後に北をふさぐんです。だから北側が一番取り壊しやすいんです」
そこには大して見るべきものもなく、一通り眺め回したあと外に出ると、また観光案内所でもらった地図を取り出して、次に目指すべき所を探した。「宮尾古墳」なんていうのが、そこから一番近いようだ。そこを目指して歩き始めると、10分でついた。まるで大きなお饅頭のように見える円形の古墳を見て、セーラはまた韓国ドラマを思い出した。確か「イ・サン」というドラマに出てきた王様の墓は皆円形で、宮尾古墳に似ていた。説明書を読むと誰の墓なのか分からないと言うことだったが、写真だけ撮って、次の天武・持統天皇陵に向かった。二人の天皇を一緒に祭るなんて、とても仲の良かった天皇たちかと思ったら、二人は夫婦だったと説明書に書いてあった。今の皇太子に女の子しかいないことで、女性が天皇になることに関して随分論議をかもしたようだが、「何だ昔も女性の天皇がいたじゃん」とセーラは思わず独り言を言った。地図を頼りに歩いていくと、地図では単純に一つの道しかないように書いてあるのに、分かれ道にでくわした。どちらに行けばいいのか迷ったが、右の道を選んだ。急ぐ旅ではない。間違えたら、引き返せばいいだけのことだ。しばらく行くと、また二つの道に分かれた。ここでもどちらの道に行こうかと迷ったが、右の道を選んだ。引き返さなければいけなくなった時のことを考えると右ばかり選ぶほうが賢明に思えた。そしてまた分かれ道に出くわして、右を選んで歩いて行ったが、行けども行けども天皇陵らしいところは見当たらない。それどころか人一人見当たらず、両側が木の覆い茂っている舗装もされていない、細い道が続いているだけだ。段々不安になってきた。それにおなかもすいてきた。腕時計を見ると、時計の針は11時半を指していた。「そう言えば、モーニングティーも飲んでいないわ」と思うと、セーラは喉の渇きを感じ、道脇の少し大きめな石に腰掛け、背中のリュックサックを下ろし、ペットボトルの水をラッパ飲みした。冷たい水が喉元を通っていくのを感じ、快かった。少し体がぽかぽかしてきたので、着込んでいたセーターもリュックサックに突っ込んだ。人っ子一人見えないのがセーラの不安をあおり、自分の居場所を調べるために、スマートフォンを取り出し、GPSで自分の居場所を確かめようとした。すると、ネットワークがありませんとメッセージが出た。飛鳥は随分田舎のようだからネットワークもないのかと思うと、大変なところに来たなと思った。地図を見ると、天武・持統天皇陵から30分くらい歩いたところに、レストランのマークがあったので、早く天皇陵を見て、お昼にしようと、また歩き始めた。ところが、歩き始めて1時間近くなるのに、相も変わらず人っ子一人会わず、ただただ田舎道が続くばかりである。何かおかしい。そう思いながらも更に30分歩いて、セーラは自分が道を間違えたらしいと気がついた。そうなれば引き返すだけだと、180度方向転換して、もと来た道を戻り始めた。それでも、どうもおかしいと気づいたのは、それから1時間ばかり歩いたあとだった。何だか、同じ道を堂々巡りしているように思われるのだ。そして同じ道を回りながらも、回るごとに少しずつ景色が変わっていくように思える。しかし確信はなかった。そのうち、おなかが空腹でなり始めた。時計を見ると午後1時になっていた。こんなことなら駅で弁当を買ってくるのだったと後悔したものの遅すぎる。リュックサックを下ろして、何か食べるものがないかと探すと、チョコレートが出てきた。こんなものでは腹の足しにはならないと思いながらも、チョコレートを口にした。チョコレートの甘さが口いっぱいに広がり、少し空腹を満たすことができた。チョコレートを食べた後、また歩き出したが、段々自分がどこにいるのかわからなくなってきた。だから、遠くから人が何人かの集団になって歩いてきているのが目に入ったとき、セーラは思わず、「ハーイ!」と叫びながら走りよっていった。ところが、その集団は走りよって来るセーラを異様なものを見るような目で、立ち止まって、動こうとしない。
 

著作権所有者 久保田満里子

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百済の王子)2)

第一章 セーラの旅

時は2014年。
セーラは、メルボルンに住む20歳の学生である。父はオーストラリア人だが、母は日本人。初めて会った人は、皆百パーセント白人かと思うくらい、父親似である。すらりと長い足、茶色の髪、瞳は大きくまつげが長く、色白だ。鼻だけ母親似で、それほど高くないが、セーラは父親似のような鷲鼻にならなくって良かったと思っている。皆から良いところばかりもらったねとうらやましがられることも少なくないが、セーラ自身はそれほどありがたいとは思っていない。
セーラには、高校時代からつきあっていたトムと言うボーイフレンドがいた。一緒に山登りしたり、東南アジアを旅行したり、パーティーに出かけたり、いつも一緒だった。友達からも似合いのカップルと言われていた。両親も将来二人は結婚するものと思っていたらしい。セーラも、二人が就職が決まって落ち着いたら、結婚するつもりだった。それなのに、トムの大学卒業間近になって、別れることになってしまった。トムがカタールに行くと言い出したからだ。カタールで、高給の仕事を見つけたから、カタールに行って、ひともうけしたいと言い出したのだ。セーラも一緒に行こうと誘われたが、セーラは、カタールのような中近東の国に行くのは、ためらわれた。まず暑いのが苦手だ。それに、今はカタールは紛争に巻き込まれていないが、中近東ではしょっちゅう戦争が起こっている。カタールで紛争が起こらないという保証はない。それに、カタールでセーラも何か仕事が見つかればいいが、文科系のセーラができるような就職口は、見つかりそうもない。そうすると、毎日トムの帰りを待つだけの専業主婦になる以外ない。トムはそれでいいと言うが、誰も知る人のいない、言葉も分からない国に行くのは、気が重かった。極力トムに行かないように頼んだが、冒険心の強いトムは、それなら別れようと言い出したのだ。セーラはトムが自分と仕事をはかりにかけて、仕事を取ったことに腹が立ち、「それなら、別れましょう」と反射的に言ってしまった。言った後になってしまったと思ったが、一度口から出た言葉は取り戻しようもない。
トムがカタールに発った後、セーラは落ち込んで、家に閉じこもる日々が続いた。そんなセーラを見て、母親が、
「日本にでも行って、気分転換したら?」と言ってくれた。
それで、日本に来た。いつもは母と一緒の日本への旅だったが、一人で来るのは初めてで、全く不安がなかったかといえばうそになる。高校で日本語を勉強したが大学では全く勉強しなかった。だから日常会話には困らなくても、漢字となるとお手上げだ。
関西空港に着いた時点では、いたるところにある標識は日本語とともに英語でも書かれているので全く困らなかった。。母方の両親は亡くなっていたが、母の妹が福岡に住んでいる。関西空港からほど遠くない奈良を観光してから、叔母の家に行くことにした。関西空港に到着したのが午後9時半と遅かったので、その晩は大阪にあるビジネスホテルに泊まった。日本との時差が1時間しかないので、その日はすぐに眠ることができた。翌朝、大阪駅から、奈良行きのJRの電車に乗った。鈍行に乗ったため、電車はのんびり各駅に停まって行く。天気はよく、沿線には桜の並木があるところも多く、青空を背景にピンクの花を見ると、なんて美しいのだろうと、セーラは沿線の景色にうっとり見とれた。日本に来てよかったと、つくづく思った。傷ついた心が癒されていくのを感じた。桜の花を満喫していているうちに電車は1時間で奈良に到着した。
奈良についてのセーラのもっている知識といえば、日本最古の首都があったということくらいである。710年に奈良に都が作られたと言われても、セーラにはぴんと来ない。それも無理はない。学校で習うオーストラリアの歴史といえば1770年ジェームス・クックがオーストラリアを発見。それからイギリスは原住民であるアボリジニを征服して植民地にした話からオーストラリアの歴史は始まる。その千年以上も前と言うと、セーラの想像の域を出てしまう。
セーラは奈良に着くと駅前にある観光案内所に行って、地図をもらった。駅から程遠くないところに、興福寺とか奈良公園など、観光名所があるようなのを知って、その日は駅周辺の探索をすることにした。遊歩道になっている商店街を抜けたところで左手に大きな五重の塔が見えた。地図を見ると、興福寺と書いてあった。塔の写真を撮ろうとカメラを構えると、赤い五重の塔とピンクの桜の花が蒼い空に映えた風景が、レンズを通してセーラの目に飛び込んできた。セーラはその美しさに思わず感嘆の声をあげた。
奈良公園で鹿を見かけ、のんびり歩いているうちに夕暮れになってしまった。駅に戻って、駅の近くのホテルにチェックインすると、その晩は、次の日にどこを見て歩こうかと英語で書かれた地図を広げて眺めた。そのうちAsukaという地名を見つけ、どこか記憶の片隅にそんな名前を見たことがあるように思えた。そして思い出した。メルボルンにあるカラオケバーの名前が飛鳥だったことを。何だかロマンチックに聞こえる地名に惹かれて、セーラは次の日飛鳥に行ってみることにした。

著作権所有者 久保田満里子
 

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