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サンドラの誓い(最終回)

その週末、サンドラは久しぶりにアランの母親のモーリーンに会いに行った。アランが亡くなってから、ほとんど会うこともなくなっていたので、突然のサンドラの訪問にモーリーンは驚いたようだった。

「まあ、サンドラ、久しぶりね。入って頂戴」

「ええ、お久しぶりですね」

モーリーンは、サンドラを抱きしめ、暖かく迎えてくれた。

「今日は、アランの命日でも、誕生日でもないはずだけれど、何かあったの?いい人ができて、結婚でもするって報告かしら?」

モーリーンは、笑顔を浮かべて言った。

「いいえ。残念ながら、まだそんな報告ができるほど元気になっては、いません」

「もしもアランのことで、なかなかいい人が見つからないのなら、そんなこと気にしなくていいのよ。アランだって、あなたが一人でいるより、誰かと一緒になってくれるほうが、心が休まるはずよ」

「ええ、モーリーン、ありがとう。実は、先日アランが死ぬ原因になった男と会ったんです」

「えっ?見つかったの?」

「見つかったわけではなく、車に轢かれて私の病院に来たんです。ちょうど私が当直だったので、その男を治療するはめに陥ったのですが」

「ええ、そうなの。それは、つらかったでしょうねえ」

モーリーンは、どこまでも善意の人なのに、サンドラは驚かされた。普通なら、そんな男は治療する必要はないと言うだろうに。善意のかたまりのようなところは、本当にアランと似ている。

「本当に、その男の顔を見たとき、治療をするのを放棄したくなりました」

「それで、放棄したの?」

モーリーンの声には、放棄をすることに対する非難じみた響きがあった。

「いいえ。でも、どうしてアランのような未来のある素晴らしい人が死に、飲んだくれのホームレスのような中年男が助かるのか、私には納得いかない気持ちでいっぱいでした」

そう言うと、サンドラは、その時の気持ちを思い出したようで、下唇をかんだ。

「でも、その男に娘がいて、娘にとってはかけがえのない父親だと知ったとき、その男の命がアランの命と同じくらい大切だと、気がつかされたんです。その時の気持ちを、あなたに話したくて来たんです」

「そうなの。ありがとう、来てくれて。あなたがアランを今でも愛していてくれることには感謝しているわ。でも、きっとアランは、あなたがその男を許せた気持ちになってくれたことを、とっても誇りに思っているに違いないわ」

モーリーンはサンドラの手を握って言った。

サンドラは、モーリーンに会いに来てよかったと、つくづく思った。そして、モーリーンの言うように、アランがあの男に対する憎しみから解放されたことを喜んでくれていると、確信した。そしてサンドラは、自分に誓った。これからどんな患者とでくわすか分からないが、どんな患者に対しても全力を尽くして治療にあたると。

                  完

 

著作権所有者:久保田満里子

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サンドラの誓い(2)

その男の顔を今見たのである。サンドラは胸の動悸が高くなるのを感じた。その男の息は酒臭かった。また、酒に酔って、道路に飛び出たのだろうか。

「この男のために、アランは死んだ。こんな男のために!」

サンドラは消そうとしても何度も湧き上がってくる憎しみを抑え切れなかった。

「サンドラ、モニターをつけたので、治療の開始をお願いします」と看護師に言われるまで、体が動かなかった。

看護師の、「サンドラ、どうかしたの?」と言う言葉に、我に返った。

いつものように、患者の意識を確かめることから始めた。

救急隊員から聞いて、その男の名前がブライアンだいうことを知った。

「ブライアン、聞こえますか?聞こえたら、私の手を強く握ってください」

ブライアンの手がわずかに動いた。

「まだ意識はあるようだわ」

そう言うと、サンドラは、あの忌まわしい事故のことを頭からふるい落とすために、治療に集中した。心臓マッサージをし、点滴をすると、モニターの波動が正常に動き始めた。これで、容態は安定するだろう。しかし、頭を強く打っているということだから、MRIをとる必要があるだろう。

「まだ予断を許さないから、集中治療室に移して、様子をみましょう」と、サンドラは、通常の数値にもどった脈を示すモニターの画面に目をむけながら看護師に指示をし、ブライアンの血のついた白衣を脱ぎ、治療室をでた。疲れた。どうしてこんな男のために治療をしなければならないかと思うと、腹立たしかった。治療室を出ると、すぐに後ろから声をかけられた。

「あのう、父の容態はどうでしょう?」

振り向くと、30歳代の女が立っていた。その女は、やせ細って、見るからに貧しそうな身なりをしていた。

「お父さんって、ブライアンさんのこと?」

「はい、そうです」

その女は遠慮がちに答えた。

「一応容態は安定しましたが、まだ脳の状態を検査することができないので、脳がどのくらい損傷しているかは、分かりません」

この女があの男の娘かと思うと、答える声もぶっきらぼうになっていた。

「そうですか。父に会えるでしょうか?」

「今から集中治療室に移して様子を見なれければいけませんから、まだ面会の許可をおろすわけにはいきません。治療室の窓越しには、見えますが」

「そうですか?」

女は不安そうであった。

「集中治療室は3階の奥にありますから、そちらのほうに行ってください」

そう言うと、サンドラはさっさとまた仮眠をとるために部屋に戻っていった。

サンドラは30分もしないうちに、また起こされた。

「サンドラ。ブライアンの容態が悪化しました。すぐに来てください」

サンドラは、今度は睡眠をさまたげられたことに対する苛立ちよりも、あんな男をどうして自分が救わなければいけないのかと思うと、腹が立ってきた。

集中治療室にかけつけると、さっき見た女が、窓にしがみついて必死の形相をしている。女はサンドラを見ると、

「先生。父を助けてください。酒飲みでぐうたらな父ですが、それでも私にとっては大切な父なんです」

この言葉を聞いたとき、突然アランを失ったときの悲しみが、雷に打たれたようにサンドラの全身を貫いた。この女にとって、こんなぐうたらな男でも、大切な人なのだ。この男が死ぬと、私がアランを失ったときと同じ悲しみをこの女は味わなければいけなくなる。そう思うと、今まで抱いていたブライアンに対する憎しみがすうっと消えて、この男を助けなければいけないと言う気持ちが湧き上がってきた。アランだって、人の命を救うことに使命を感じていたのだ。アランの命が、ブライアンの命より価値があると思うと、誰が言えよう。そう思い直すと、サンドラは、女に向かってやさしく言った。

「大丈夫です。きっと、助けますよ」

それから、サンドラは、AEDを充電し、ブライアンの心臓に当てた。ブライアンの胸がはねあがったが、まだ心臓は動かない。もう一度AEDを当てた。すると、心臓がまた鼓動を打ち始めた。サンドラの額は緊張で汗びっしょりになっていた。

治療室の外に出ると、女がサンドラに、

「先生、ありがとうございました」と言った。その目は涙で光っていた。

その涙を見て、サンドラは、ブライアンに対する憎しみの塊が心の中でとけて、ブライアンを助けなければいけないという決意を新たにした。

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サンドラの誓い(1)

サンドラは仮眠をしているところを起こされ、頭がボーッとしていた。インターンを終え、やっと一人前の医者になれたのだが、病院勤務をしていると、インターン上がりの医者は医者の階級では一番の下っ端。宿直などは人手が足りないときには、すぐに割り当てられる。今晩も本当は宿直の予定はなかったのに、宿直担当の医師が急用ができ、宿直できないというので、急遽サンドラにその役目がまわってきたのだ。

「サンドラ。今交通事故にあった男が救急車で運ばれてくると連絡があったわ」

看護師に言われて、慌てて白衣を着て、足早に治療室に向かった。

今晩は比較的静かで、このまま仮眠ができるかと思ったのにと思うと、残念な気持ちがした。

 サンドラが治療室で待っていると、5分もしないうちに、あわただしい人の足音と、ストレッチャーのガラガラという音が、病院の静寂さを破った。そして、治療室のドアがばたんと開いたかと思うと、すぐに運び込まれた怪我人はストレッチャーからベッドに移され、救急隊員の血圧や脈数などの報告が治療室に大きく響き渡った。

「車にはねられ、頭を強く打ったもようです」

その報告を聞きながら、ベッドに横たわる男の顔を覗き込んだサンドラは、ハッとなり、一瞬息を呑んだ。頭の髪の毛に血がこびりついていて、形相は変わっていたものの、その男の顔は、サンドラにとって忘れようにも忘れられない顔だった。

 

2年前のことだった。医学生だったサンドラには同級生のアランと言う恋人がいた。二人は5年越しのつきあいで、インターンを終えたら結婚しようと話し合っていた。アランは、医者になったら、「国境なき医師団」という慈善団体に入り、貧しい国の人々の医療に当たりたいという夢をもっていた。サンドラもそんなアランを心の底から尊敬し、彼と一緒に働きたいと願っていた。

大学の卒業を間近に控えたある晩のことだった。二人は同級生の誕生日パーティーに呼ばれた帰り道のことだった。突如、アランの運転する車の前に、酒に酔った50代くらいのホームレスのようなきたない身なりをした男がよろよろと現れたのだ。アランはとっさにその男をさけようとハンドルをきったのだが、車は道路わきの木にぶつかり、ドカーンと大きく音がした。そのあとの記憶はサンドラにはない。サンドラが目を覚ました時、頭が固定されていた。頭を負傷したのだ。だからサンドラが、事故のことを思い出すのに少し時間がかかった。しかし、その事故の記憶が鮮明によみがえってきたとき、サンドラは側にいた看護師に聞いた。

「アランは、無事ですか?」

それを聞くと、看護師は悲しそうに頭を左右に振った。

「え?アランが死んだ?そんなことないでしょう?うそでしょう?」

サンドラは看護師の答えを信じられなかった。それから半狂乱となったサンドラは鎮静剤を打たれて、またコンコンとした眠りに陥った。

サンドラが落ちついた時に聞いた話では、救急車がきたときには、あの道路に突然出てきた男の影も形もなかったそうだ。サンドラもヘッドライトに映し出されたその男の顔は、一瞬しか見なかったが、脳裏に焼きついていた。そして、あの男さえ道路に出てこなければ、アランはまだ生きていたのにと思うと、自分の怪我の痛みより、その男に対する憎しみが、胸のうちに膨らんでいった。


著作権所有者:久保田満里子

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