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すさまじきものは宮仕え(前編)

「いやあ、遅れてごめんごめん」といいながら、私が座っているテーブルの向かい側に隅田は座った。

 隅田と私は高校時代の同級生。でも大学は別々だったので、たいして親しくもなかった隅田とは音信不通となっていた。それがメルボルンで再会したのは、2年前だった。隅田は高校時代も英語が堪能だったが、大学卒業後は外務省に入り、外交官の道をたどって、2年前からメルボルンに勤務している。それに対して、私はメルボルンで小さな料理屋を経営している。その私の料理屋に隅田が客として現れ、「あら、まあ!」と言う感じで、再会したのだ。隅田の奥さんは息子の大学受験のために日本に残り単身赴任だったし、私も独身で身軽だったから、月に一回、日本料理店以外のところで一緒に食事をするつきあいが始まった。日本語が分かるお店に行くと、色々世間にしれてはまずいことが、もれてしまうこともあるからだ。しかし世間に知れてまずい事と言うのは、別に私たちの間に秘密の色事があるわけではない。外交官の隅田には、色々公言することができない思いなどがあっても、なかなか愚痴をこぼすところがないので、日本国籍も捨ててしまった私は、気軽に愚痴をこぼせるかっこうの相手として、重宝されているのである。私も隅田と話していると、色々知らない世界の話に、時には感嘆し、時にはくだらないと思ったりして、興味をそそられるのだ。

 最初に一緒に食事に行ったとき、ロシアにいたときのことを話してくれた。

「大使館で重要な機密の会議をする時にはね、部屋にテントをはって、盗聴されないようにするんだよ。どこに盗聴器が隠されているかわからないからね。もっとももう10年前のことだから、今では、もっとほかの方法をとっているかもしれないけれどね」と、聞いたときは、スパイ映画の話を聞くようで、ワクワクした。

 それから、アフリカにいた時のことも話してくれた。

「アフリカにはどの国にも日本大使館があるわけではないからね、周りの国も管轄に入っていて、一度隣国に出張になったことがあるんだけれど、行きはよいよい、帰りは恐いでね。帰るときひどい目にあったことがあるよ。帰りの飛行機に乗るためのバスに乗って、空港に着くと、バスを降りた乗客がみんな荷物を持って一斉に走り出すんだ。僕は何が起こっているのかわからなかったし、荷物も多かったから、のんびり出発口に行ったら、みんなが走っていた理由がわかったよ。僕が搭乗口についたときは、飛行機は出た後だったんだ。それでは次の便に乗りたいというと、なんと一週間に一便しかでていないというんだ。まさか1週間も何もしないで、その国にとどまるなんてことは考えられなくて、途方に暮れて、上司に電話したんだ。そしたら、上司から、その国の政治家を知っているから、何とかしてもらえないか聞いてみようという返事で、10分後に電話を掛け直した僕に、上司は、その国の大金持ちの企業家が、ベンツを運転手付きで貸してくれることになったから、空港でベンツを待っていろと言うんだ。そこで、しばらく待っていると、ピカピカに磨かれたシルバー色のベンツが現れたんだ。結局、そのベンツに乗って、10時間車に揺られて何とか勤務地に帰ることができたこともあったよ」

「へえ、アフリカに住んでいる人は貧しい人達ばかりだと言うイメージがあったけれど、すごいお金持ちもいるんだね」

「そうだよ。貧富の差が激しくて、お金持ちは途方もなくお金持ちなんだ」

 隅田の話が面白くて、いつも身を乗り出すようにして、「ふんふん」と熱心に話に耳を傾けるので、隅田も私に話すのが楽しいようだった。 (続く)

著作権所有者:久保田満里子

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さようならジョン(最終回)

 ジョンの葬儀は彼がこの世を去って10日後に教会で行われた。その日は、大雨が降り、皆、いたずら好きだったジョンが雨を降らせて、参列者を困らせているんだとこぼしあった。

 オーストラリアの葬儀では、参列者は派手な色は避けるものの、派手でない限り、何色を着ても皆余り気にしない。でも、服装にやかましかったジョンを参列者は皆知っていたようで、男性は皆白いシャツにネクタイをして黒い背広を着ていた。女性もほとんど礼服のような黒い服を着ていたが、一人だけ派手な赤色の服を着た女性を見かけた。近寄ってい見ると、ジョンの元妻のケリーだった。

「ケリー、お久しぶりです」と声をかけると、みるみるうちにケリーの目から大粒の涙が流れだした。のどを詰まらせながら、「ジョンがこんなに早く亡くなるなんて、夢にも思わなかったわ」と言うと、ハンドバックからハンカチを取り出して、涙をぬぐった。ケリーはまだジョンを愛していたんだと、胸をつかれた。

 他の参列者達は、お互いに靴を見せ合って、「今朝はちゃんと磨いてきたぞ」と言い合っていた。勿論、私もこの日の朝、靴をきれいに磨きあげ、黒いスーツを着てきた。

 葬儀の手順は、ジョンが全部死ぬ前に決めていた。リハーサルは、できなかったらしいが。

 キャシーが司会を務め、男の牧師が聖書の言葉を読み上げ、賛美歌を皆で歌った。

 生前のジョンと仲の良かった人たちが壇上に上がり、それぞれが経験したジョンの奇抜な行動を披露する。そのたびに、皆笑い、ジョンを懐かしんだ。ジョンがレストランで、テーブルの上で、踊った話。株主総会の重要な日でも、クロコダイルダンティーという映画の主人公のように、カーボーイのような恰好をして現れ、皆を煙に巻いたことなど。茶目っ気たっぷりのジョンを思い出させる話ばかりだった。

 葬儀で初めて知ったことがたくさんあった。彼はイギリスからの移民の子で田舎で育ち、家が貧しかったので、高校一年で学校をやめ、メルボルンにきて、いろいろな職を転々とし、ベトナム戦争にも駆り出されて、2年間、ベトナムで戦ったということだ。そのあと、メルボルンに戻ってきて、セールの仕事をして、やり手として知られるようになり、私がジョンと会った会社に引き抜かれたということだ。大学にも行かないで、社長の座を射止めたというジョンは、オーストラリアならではの出世物語と言えるだろう。

 スライドショーが披露されたが、スターウォーズのテーマソングが流れるとともに、スターウォーズの出だしと同じように文字が川が流れているように上へ上へと流れて消えていった。ジョンらしい演出だと、誰かがささやいた。

披露された写真には、ケリーとの幸せな結婚生活を送っていた頃のものや、かつらをかぶって着物を着て、芸者姿に変装したジョンもあった。皆から愛されたジョンを、私は再確認し、初めて涙がでた。

 皆の思い出話が長かったため、2時間も葬儀が続いた。そのあと、飲み物や食べ物が用意されていたが、私は、何となくみんなと話をする気になれなく、疲れを感じて帰りの道を急いだ。

 帰りの車を運転しながらラジオをかけたら、奇しくも、ビクトリア州政府が安楽死の議案を提出したというニュースが流れた。すると、ジョンがあの世で右の親指を挙げて、ウインクしている姿が目に浮かんだ。

追記:この物語はフィクションですが、モデルになった人がいます。その人は2016年11月23日に安楽死をしました。この物語を彼にささげ、彼の冥福を祈りたいと思います。

 

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さようならジョン(6)

その2週間後に、ビルが、

「ジョンから僕たちに昼食に来ないかと誘いがかかったよ」と言うので、ジョンの2度目の見舞いに行った。

 前回あったときは、退院して間もなかったせいか、10分も話すとつらそうだったのが、

少し体力を取り戻したように思えた。この時もキャシーがそばについていて、料理は彼女が準備したようだった。

「キーコ、クリスを覚えているか?」と私に聞く。一瞬どのクリスのことを言っているのか考えていると、

「ほら、辞表を僕にたたきつけて、辞職したセールスマネージャーのクリスだよ」

「ああ、あのクリス」

 私は、ものすごい形相をして社長室から出てきたクリスのことを思い出した。

「彼からね、見舞いのカードが来たんだよ」と、カードを私に渡してくれた。そこには、

「ジョン、

 癌にかかったと聞き、驚いている。早期回復を祈っている。

君から僕の仕事ぶりについて注意を受けたとき、僕は全力投球で仕事に取り組んでいたと思っていたので、君の忠告は心外だった。でも、あれからほかの会社のセールスマネージャーになって、君の忠告を思い出し、ときおり自分を反省するようになったよ。いまでは物わかりの良いボスだと思われている。これも君の忠告があったからだと、今では感謝している」

私が読み終わるのを待って、

「クリスとは喧嘩別れになって、後味の悪い思いをしていたんだが、彼から、こんなカードをもらって、僕はうれしかったよ」

「和解できて、よかったですね。それで、クリスは会いに来たんですか?」

「いや、彼は今アメリカにいるそうだ」

「そうですか」

 会話はなごやかにすすんでいったが、ジョンは、スープを一口飲んだだけで、それ以上、料理に手を付けなかった。

「食欲もないし、無理して食べると、吐き出すだけだからね」

そういう、病気のつらさをこぼしているかと思えば、突然いたずらっ子のように、

「今朝、キャシーに抱いてほしくなって、彼女の寝ている客室のベッドの中にもぐりこんだんだけど、キャシーったら、パジャマを着て寝ているんだよ。興ざめしたよ。裸で寝ればいいのに」

と、愚痴をこぼすので、私は思わず笑ってしまった。女のベッドにもぐりこむくらいの気力があれば、当分は大丈夫だと思った。

 しかし、この時が、私が生きているジョンに会った最後の日になってしまった。それからのジョンの状況は、マスコミに報道される情報で得るだけになってしまった。彼は安楽死の合法化を目指してのキャンペーン運動で多忙になっていっていた。

 テレビのドキュメンタリーでは、キャシーとダンスしているジョンを見ることができた。ジョンの安楽死を手助けするという医者も、不治の病の痛みで苦しんでいる人たちを安らかに眠らせてあげることの重要性を強調していた。私も心の中で、大賛成と言っていた。私には痛みに耐えながら死だけが待つ生活は、思っただけでも耐えられそうもない。。

 新聞にも何度にも渡って安楽死の記事が記載され、そのたびにジョンのことが報道された。新聞に記載されたベッドに横たわっているジョンの写真を見ると、ジョンは骨と皮になってしまっていた。癌が肺にも転移したと書かれていた。テレビのドキュメンタリーで、ジョンに安楽死の薬をあげると宣言した医者は、裁判にかけられてしまったとの記事を読んだ1週間後、ジョンの姪という人から電話をもらった。

「ジョンは、夕べ、薬を飲んで、安らかに眠りました。葬儀の日は、ジョンの遺体が検視に回されたので、遺体が戻ってきたら、またお知らせします。ジョンが、知らせてほしい人のリストを作っていましたが、そのリストにあなたの名前があったので、お知らせします」

 こんなに早く、ジョンの死が訪れるとは、夢にも思わなかった。彼が重病なのは知っていたが、現実にその時が来ると、実感がわかなかった。いつか見た、スイスの病院で安楽死した人のドキュメンタリーを思い出した。ジョンも自分で、死のカクテルを飲んだのだろうか。電話が切れた後も、私は呆然としてそのまま長い時間たたずんでいた。

著作権所有者:久保田満里子

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さようならジョン(5)

ジョンが退職して1年後、ジョンが会社に足を運ぶこともなくなった。うわさでは、ウェンディとも別れたということだった。新しいパートナーができたのかと思っていた私に、ビルがびっくりするニュースをもたらした。

「ジョンは舌癌にかかったようだ。かなり悪性の癌みたいだよ。一応治療は終わって退院したということだ」

  あの、いつもエネルギッシュに動き回っていたジョンが、病気にかかるなんて夢にも思わなかった。彼はまだ70代の初めのはずである。言葉を失った私にビルが

「今週の日曜日家にお見舞いに行くつもりだけれど、君も行くかね」と誘ってくれた。

 会社の中で、社長秘書だった私が一番ジョンのことを知っていたことを、ビルは配慮して、誘ってくれたらしい。私は勿論「是非連れて行ってください」と答えた。

 花束を持って、ビルと共にジョンの家を訪れると、玄関の扉を開けたのは、美しい金髪の大柄な女性だった。ジョンは、病気をしてもやっぱりモテるんだと、思わず頬がゆるんだ。

その女性は、「私、キャシーです。どうぞ入って」と私たちを家に招じ入れてくれた。  

 家の中は相も変わらずチリ一つ落ちておらず、ピカピカだった。

見舞いに行くとビルがあらかじめ連絡していたのか、

「おお、来たか」と寝室から出てきたジョンは、ちゃんとズボンとTシャツを着ていたが、ジョンの頬がこけ、手足が細くなっているを見て、私は胸が痛んだ。

「この女性は、僕のダンス教室でのパートナーだった人でね、牧師なんだ。僕の葬式をちゃんとしてくれることになっているんだ」

「葬式なんて、まだそんなことを考えるのは早いんじゃないか」とビルが言うと、

「慰めてくれなくてもいいよ。自分の体のことはよく分かる。このままいろんな治療を続ければ、1年くらい生きながらえるかもしれないと医者が言うんだが、苦しい治療を続けるのは、まっぴらごめんだよ。幸い僕には家族がいないから、いつ僕が死んだって、誰も困らないし」

 あのなんでも積極的に物事に取り組んでいたジョンの言葉とは思えなかった。しかし、苦しい思いをして延命しても、また元気になる可能性がないとなれば、私もジョンと同じように考えたかもしれない。

「だからさ、自分の死の時は、自分で決めたいと思っているんだ」

「それって、安楽死のことを考えていると言う意味ですか」私が驚いて聞きただすと、

「そうだよ」と、こともなげに言う。

「でも、安楽死は合法化されていないよ、オーストラリアでは」とビルが言うと、

「だから、僕は合法化にむけて、キャンペーンをしたいと思っているんだよ」

そう聞くと、いつもの物事を積極的におしすすめていく、いつものジョンは変わっていないことを知り、私の気持ちは少し楽になった。

「安楽死に使う薬が売っていないかって、ネットで調べたら、それが売っていたんだよ、メキシコで」

「え、そんなに簡単に薬が手に入るんですか」と、安楽死にはついての知識が全くない私が聞くと、

「薬は500ドルって書いてあったから、500ドル送ったら、郵送料や手数料として500ドル追加のお金を送れというので、また500ドルを送ったんだ。ところが、いつまでたっても品物が来ないんだ。きっと、だまされたんだと思う」と、いいながら、綿棒のようなものをしきりになめた。私の視線に気づいて、ジョンは、

「これはね、痛み止めのためのモルヒネなんだよ」と説明してくれた。

私たちは、ジョンが疲れ始めたのを感じて、その日は、退散した。 (続く)

著作権所有者:久保田満里子

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